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千鳥大悟の出身高校はどこ?高校野球部時代のポジションや成績は?

野球ボール

千鳥の大悟さんは高校時代は野球部だったことは有名ですね!

野球部時代はとっても厳しかったようで、

野球部時代の経験が今の仕事にも活きていると話す千鳥の大悟さん。

アメトーク元・野球部芸人にも登場しています。

千鳥大悟さんはどこの高校で、野球部時代の成績やポジションについて調べてみました。

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千鳥大悟の出身高校はどこ?

千鳥の大悟さんは、岡山県の笠岡商業高校の野球部出身です。

創立120周年を迎える伝統校です。

大悟さんは野球特待生として入学しているようです!

相方のノブさんも同じ高校でした。

簡単に大悟さんのプロフィールを!世代や体格がよりわかるかなっと。

・生年月日:1980年03月25日
・身長/体重:170cm /60kg

参考:YOSHIMOTO

商業高校ならではの簿記やビジネス情報などの検定取得率は岡山県で実績ナンバー1!

硬式野球部の過去の成績は昭和28年秋季高校野球東中国大会準優勝や、

1957年第39回全国高等学校野球選手権東中国大会では決勝に進出し敗れ、準優勝。

準々決勝などにも何度か進出しているので、野球部や部活動にも力を入れている学校のようです。

 

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千鳥大悟の高校時代は野球部漬け!

大悟さんの高校時代は、野球部漬けの毎日だったようです。

お休みはお正月とお盆くらいのみ。

朝練を1時間ほどして、放課後は夜9時くらいまで練習。

練習は相当厳しかったようです。

野球部の監督もとっても怖かったと話していました。

今だに野球部の練習に遅刻する夢を見るくらい、厳しかった思い出があるようです。

自宅のある島には船を使って通学が必要で、朝練に行く時間には船がなかったこともあり、

市内の団地でお姉さんと2人暮らしをして、学校に通っていたそうですよ。

親御さんと離れて生活することも、大変だったことの一つかもしれませんね。

 

 

でも、野球をやっていて良かったと話していました。

野球部の大変さに比べたら、今の仕事の方が体力的にも楽だと。

本当に相当大変だったことがわかります。

そして人生の教訓も得たようです。

野球部時代にたくさんのエラーを経験したおかげで、今の仕事にも生かされているようですよ。

「前突っ込んでってのエラーはオッケー、引いて逃げてのエラーはあかん」とよく言われてたんですけど、ほんと人生その通りで。いまのうちに野球部で前向きなエラーをどんどんしてった方がその先に生きてくるんじゃないですかね。

朝日新聞

 

 

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千鳥大悟の高校野球のポジションは?

千鳥の大悟さんは、ポジションはショートでした。

サードもちょっとやったとか。打順は6番

高校1年のときはピッチャー志望だった大悟さん。

でも大悟さんはカーブを投げられなかったため、ピッチャーは諦めたようです。

1年生の時に同級生でもピッチャー志望の人たちが他にもいたことと、高校野球となるとカーブも投げられないと厳しいと。

大悟さんは、2年生の時からベンチ入り!

レギュラーを「しゃべり」で獲得したと思っているそうです。

野球の実力は、自分が一番下手で後輩の方が上手かったと話していました。

ショートが自分じゃなかったら、もっと強かったのではっとも。

大悟さんのレギュラーの本当の意味は、ムードメーカー!

グランドにいないといけないほど、チームの中心でムードを盛り上げて、メンバーを支えていたことがわかります。

大悟さんのエラーは部員には想定内だったようで、大悟さんの存在がとっても大切にされていて、愛されていたことがわかります。

エラーはようしてましたね。エラーしたらマウンドに行ってピッチャーに「ごめんなあ」と謝りに行くんです。たいがい僕が最初にエラーしてピッチャーのところ行くと、「大丈夫大丈夫、大悟のエラーは1試合三つまでオッケーにしてるから」と。信頼関係というか僕のエラーには甘かった。みんな当たり前になってました。

朝日新聞

 

 

☆大悟と対戦したピッチャーの稲村亜美さんについてです⇩

 

 

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千鳥大悟の高校野球の成績!

千鳥の大悟さんの高校時代の野球実績は、三年連続2回戦敗退のようです。

高校三年生の高校生活最後の夏、1997年第79回岡山大会。

相手高校にとっては二回戦目だったようですが、大悟さんたちにとっては初戦だったそうです。

初戦でガチガチに緊張した状態になってしまい、普段ならやらないようなエラーが続出。

本来だったら勝てる相手だった高校に6ー7で負けてしまいました。

大悟さんも3回ほど(4回という話も)4回エラーをしてしまったようで、自分がエラーをしなかったら勝てた試合だったと振り返っていました。(アメトークで4回と言っていました)

野球人生の最後の打席も大悟さんらしく、振り逃げセーフ!

あと一点が追い付かずに負けてしまい、みんなで泣いて悔しがった後には、

帰り道にはすっかりエラーをいじられて、笑って帰ったようです。青春!

よう考えたらあそこでなんで走ったん?」とか「なんやねんあのエラー」みたいな。みんなでいじりながら、もう笑ってましたね。試合負けても、エラーしてもそれをみんなでいじってわろうてた。

朝日新聞

 

 

 

 

 

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千鳥大悟の野球経験は?いつから始めたの?

千鳥の大悟さんは、野球は小学校の頃から始めたそうです。

最初は島のソフトボールチーム。キャプテンで、エースで4番!

中学生では野球漫画「タッチ」に憧れて野球部に所属。

タッチは、私も小学生時代は夏休みになると毎年再放送されていて、毎年見ていたアニメです。

憧れる気持ち、とっても良くわかります(^^)

大悟さんは中学時代もキャプテンを任されて、小学生時代と同様エースで4番も!

島の中では一番野球が上手かったようです。

自分が野球が一番上手いと思って島を出て高校に入ったら、自分よりみんなの方が上手かったと話していました。

小学生時代、中学生時代にもキャプテンを任されるなど、ずっと人の中心にいたこともわかりますね。

島代表のエースで4番として島を出て、笠岡商業高校に入ったんですね(^^)

 

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まとめ

今回は千鳥の大悟さんの野球部時代について話してきました。

とっても厳しい野球部時代を経験してきたからこそ、今の大悟さんがあるのだと感じました。

そして仲間にも愛されて、仲間との絆も感じました。

スポーツって、青春っていいですね!!

これからも応援しています(^^)

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