試合で大盛り上がりの「ヤスアキジャンプ」の山﨑康晃選手!
東京オリンピックの日本代表に選出されていますね。
球団は横浜DeNAベイスターズの投手です。
山﨑康晃投手は帝京高校出身です。ローランドさんと高校時代に同級生だったそうですよ!
そんな山﨑康晃投手の帝京高校時代の成績や甲子園出場について、そしてローランドと同級生だったことについても調べてみました。
山﨑康晃のプロフィール
山崎が夢先生として、大和市立大和中学校で特別授業
生徒と体を動かしたり、授業で手作りの教材を用いて夢の大切さを語ったりしました。
「授業をしたことでさらに見られますから、僕もしっかりと結果を残さないと」#ヤスアキ先生 #夢先生#baystars pic.twitter.com/HH1AsUGALn
— ベイスターズ情報@サンスポ (@sanspo_baystars) December 10, 2019
山崎康晃選手は「小さな大魔神」とも呼ばれています。
それは元横浜ベイスターズの投手だった佐々木主浩さんが大魔神と呼ばれていたことから来ているようです。
小さなといっても山崎康晃さんの身長は179センチと小さいわけではないですが、佐々木さんが190センチあったことから佐々木さんと比べると小さいですね(^^;
高校生の時にプロ志願届を提出するもドラフトでは指名がありませんでした。
大学に進学し、大学3年生の時には日米大学野球選手権の日本代表に選出されます。
日本の優勝に貢献し、最優秀投手賞を受賞。
2014年のドラフトで1位指名で横浜ベイスターズに入団しました。
山﨑康晃の出身高校は帝京高校
山﨑康晃投手の出身高校は東京都の帝京高等学校です。
色んなスポーツでも有名な学校ですよね。
芸能人もとんねるずさんなどが出身高校というのは特に有名ですね^^
石橋貴明さんが野球部出身、木梨憲武さんはサッカー部出身!
石橋貴明さんは山﨑康晃投手の野球部の先輩にあたるのですね^^
帝京高等学校野球部は春の選抜甲子園には14回、夏の甲子園には12回出場している強豪校です。
どこもやはり練習は厳しく、帝京高等学校野球部も練習が厳しいと有名です。
お笑いコンビ360°モンキーズの杉浦双亮さんも帝京高校野球部出身です。
監督が怖かったことに加え、練習はやはりかなり厳しかったと話していました。
野球の実践練習に加えて、ウエイトトレーニングにも力を入れているようで、
野球の練習が終わった後にプールメニューがあったりと、とにかく必死で毎日こなすだけでも大変なようです。
次のメニューが何かも、何時に練習が終わるかもわからない状態。
全てのメニューが余裕の持てるメニューではなく、常に全力で取り組まなければこなせないようなメニューばかり。
常に極限の精神状態で練習をこなしているからこそ、甲子園という舞台に何度も立っている強豪校になっているのかもしれないですね。
どんな練習になるか分からないから、何時に終わるかも分からない。いつも思っていたことは、「どこで体力を温存すればいいか」ということだった。
「いまやっている練習で体力を使ってしまったら、次の練習はもたないぞ……」
もちろんすべての練習に全力で取り組んでいた。けれど、特に体力がまだない1年生の頃は特に、それが完璧にできるほど体ができているわけではなかった。だから、次の練習がなんなのか分からないことに恐怖があった。
引用:BEST T!MES
1年目から〝6連続〟オールスター✨#山﨑康晃 投手、1回無失点
「いつも楽しみにして頂いているヤスアキジャンプの曲が、オールスターゲームでファンの皆さまに届けられよかったです」#baystars#オールスター#サンスポ(撮影・長尾みなみ) pic.twitter.com/oFrSqYE4jP
— ベイスターズ情報@サンスポ (@sanspo_baystars) July 17, 2021
山﨑康晃は高校時代の成績は?甲子園出場!
山﨑康晃投手は高校時代に甲子園に出場しています!
山﨑康晃投手の高校時代の成績は高校2年生の夏と、高校3年生の春にも甲子園に出場しています。
・第90回夏の東東京大会で4回戦敗退
◎高校二年生2009年
・第91回夏の東東京大会で優勝!
・第91回夏の甲子園に出場!準々決勝進出!
・秋季東京大会で優勝!
◎高校三年生2010年
・春の甲子園、選抜高校野球に出場!準々決勝進出!
・第92回夏の東東京大会では5回戦で敗退
高校2年生の夏に、甲子園に出場し準々決勝進出。
高校3年生の春にも甲子園に出場し、準々決勝まで進出しています。
山﨑康晃投手は2008年に帝京高校に入学。
帝京高校を選んだのには、元プロ野球選手の森本稀哲さんの存在が決め手だった山﨑康晃投手。
森本稀哲さんとは年齢は12歳離れていますが、実家が20秒の距離で家族ぐるみのお付き合いだったとか。
森本稀哲さんも、帝京高校で高校3年生の時に主将として甲子園に出場しています。
その甲子園に山﨑康晃投手も応援に行ったそうです。
森本に憧れ野球を始めた山崎は帝京高校野球部への進学を希望。そんな山崎に対し森本は「一度も辞めない」を条件に野球部を紹介しました。
引用:テレ朝news
森本稀哲選手引退…
寂しすぎる。プロの舞台で1度は対戦したかったな(u_u)山﨑が野球を始めたきっかけも、帝京高校に進学したいと思ったのも稀哲さんの影響でした。
ずっとここまで背中を追い続けて来ました。引退してもずっとずっと憧れです✨ pic.twitter.com/uVcrm7DjtP— 山﨑 康晃 (@19Yasuaki) September 27, 2015
森本稀哲さんに紹介されて入った帝京高校野球部。
当時は身体が細く、華奢だったそうです。
とにかくまずは身体を鍛えて大きくする必要があったそうで、食事もたくさん食べるように意識していたそうです。
肩や足などの身体能力は素晴らしかった山﨑康晃投手。
高校時代、監督は当初は投手兼外野手として考えたそうですが、打撃や投球があまり良くなかったようで、投手一本に絞ったそう。
山﨑ですが、入学当初は本当に体が華奢な子でした。でも身体能力は素晴らしく、肩、足が抜群に良かった。最初はそれを生かそうと投手兼外野手としても考えていたんです。でも、打撃がダメで、また体も細いので、打球も前へ飛ばない。ですので打者としては諦めて投手1本に。ただ投手としてもストレートの球筋は良かったのですが、球質が軽いので、打球が飛ばされていましたね。
引用:高校野球ドットコム
一年生の夏の東東京大会では帝京高校は4回戦負けでした。
|
山﨑康晃投手が高校2年生2009年の夏の東東京大会。
山﨑康晃投手はレギュラーとして先発、中継ぎとマウンドに上がるように。
帝京高校は3回戦から登場し、5回戦まではコールド勝ち。
5回戦の修徳戦では一人で投げ抜き、7回コールドで0点で抑えています。
準々決勝の駒場学園戦は抑えで出場し、決勝は出場していないようですが、雪谷高校に24-1で勝利し、東東京大会優勝!
甲子園に出場を決めました。
帝京高校は甲子園では準々決勝まで進出。
山﨑康晃投手は準々決勝の岐阜商業戦にて3回無失点の好投でしたが、帝京高校は3-6で敗れています。
甲子園の後の秋季東京大会では、帝京高校はまたしても優勝でした!
山﨑康晃投手は決勝戦、9回に登板。打者3人に抑えて勝利!
|
そして帝京高校は、翌年2010年春の選抜高校野球に出場します。
結果は夏の甲子園と同様に準々決勝進出するも、今回大会優勝した興南高校に0-5で敗れました。
結果としては敗れてしまったものの、春の選抜高校野球が終わってから山﨑康晃投手の気持ちは変わってきたそうです。
エースになりたい気持ちが強く出てきて、練習に取り組む姿勢も変わってきましたし、マウンド上でもだいぶ気持ちがこもった投球ができるようになりました。この時、不調な投手が多かったので、この夏は山﨑に背番号1を付けさせて山﨑に懸けてみようかということになりました
引用:高校野球ドットコム
そして高校3年生最後の夏の東東京大会。
山﨑康晃投手はエースナンバー1を付けて、2年連続甲子園に向けて東東京大会に登板。
1回戦から4回戦まではコールドゲーム。
そして5回戦目で国士館と対戦し、結果は14-6の7回コールド負けでした。
この悔しさが、今の山﨑康晃投手を大きく成長させてくれる出来事の一つとなっているようです。
高校時代も、大学時代も、悔しい気持ちが自分をつくってきたし、自分の財産だと思っている。ムダにしてほしくないっていうか、絶対に形になるって信じ抜くことが大事なんだということを、ぼくはNumberを見ている方たちに強く伝えたいと思います
引用:NumberWeb
|
高校生活最後の夏が終わり、山﨑康晃投手はプロ志願届を提出しますが、高校時代には指名はありませんでした。
山﨑康晃投手には社会人野球の道を考えていた前田監督でしたが、亜細亜大学がドラフト前から声をかけてくれていて、
山﨑康晃投手を任せるのには亜細亜大学しかないと判断し、高校卒業後は亜細亜大学に入学しました。
そして、大学4年の2014年。ドラフト1位で横浜DeNAベイスターズに入団。
阪神タイガースも手をあげるほどの選手になっていました。
高校時代の前田監督は、山﨑康晃投手は人に恵まれているとも話していました。
「改めて思うのは、彼は人に恵まれているということですね。お母様がしっかりしている。母子家庭で家族を引っ張るお母様の後ろ姿を見て、本人も頑張ったと思いますし、亜細亜大では多くの人に恵まれ、そしてプロでは中畑監督に素晴らしい仕事場を与えてもらった。2年目もクローザーを任されると思いますが、精神的な強さが問われるポジションですから、今の気持ちを忘れずにやってほしいですね」
引用:高校野球ドットコム
山﨑康晃投手は小学生の頃に両親が離婚しています。
そういった状況の中で、野球に打ち込み、側には森本稀哲さんが居て。
そして帝京高校の前田監督との出会いも、山﨑康晃投手にとって大切なご縁ですよね。
「プロ入りした選手でここまで手がかかって、極端に変わってプロ入りした選手は初めてですね。本当に頑張ってほしいと思います」
引用:高校野球ドットコム
こんな風に言ってくれる前田監督の言葉は、とっても嬉しいのではないでしょうか!
手がかかった選手って、それほど手をかけていたってことですよね^^
監督という存在は、とっても怖い存在だったのかなとも思いますが、
生徒の人生において何が大切なことなのかもしっかり見極めて指導している前田監督の姿が目に浮かびました。
山﨑康晃はローランドと高校時代の同級生!
山﨑康晃投手は、帝京高校時代の同級生にホスト界の帝王ローランド(ROLAND)さんが居たそうです!!
しかもずっと同じクラス!2人とも帝京高校文系コースだったとか!!
ローランドさんも帝京高校サッカー部で、プロサッカー選手を目指していたスポーツマンですもんね。
2020年の9月には横浜スタジアムで始球式に登場したローランドさん。
山﨑康晃投手に投げ方のアドバイスをもらったそうです^^
そんな山﨑康晃投手とローランドさんは、単なるクラスメイトという絆ではなく、お互いに励まし合ってきた仲だったようです。
山﨑康晃投手は、小さい頃から野球が大好きで、森本稀哲さんの背中を追いかけて帝京高校に入部。
野球部の辛い練習を乗り越えて今がありますが、野球以外の人間関係の面でも苦労した部分もあったようで、
野球部を辞めようと思ったこともあったそうです。
「世間から見たらドラフト1位で新人王を取り順風満帆に見えるのかもしれない。だが、クラスメイトとして3年間彼と過ごした俺は、彼が決して順風満帆ではなかった事を知っている」と切り出したローランドは、「(山崎は)当時かなり人間関係に悩んでいた。先輩からは良く思われていなかったし同級生に居た番長的な存在にも嫌われていた」
引用:exciteニュース
山﨑康晃投手の母が一度は引き留めて野球部に戻ったそうですが、ローランドさんも山﨑康晃投手を励まし続けていた一人でした。
同じクラスのローランドさんの目から見ても精神的にも辛そうで、思い悩んでいることがわかったようです。
山﨑康晃投手が退部するという噂も聞いたほど。
そんな中で、ローランドさんには山﨑康晃投手を励まし続けました。
山崎の明るい性格や身体能力の高さを買っていたというローランドは、「俺は彼にはどうしても野球を続けて欲しかった」と思っていたとのこと。そのため、「野球続けなよ、絶対に成功するからさ」と、失意の山崎を励まし続けたという。
引用:exciteニュース
ローランドさんのおかげもあり、山﨑康晃投手は高校3年間野球部を辞めることなく、続けて今の山﨑康晃投手がありますよね。
しかも高校3年生の夏にはエースナンバーをつけるほどに!
しかもしかも、今では日本代表の侍ジャパンです(^^)
山﨑康晃投手もローランドさんに対して感謝の気持ちだと話していました。
ローランドには「あの時野球を続けろと言ってくれてありがとう」と感謝しているという。
引用:exciteニュース
ローランドさんも、山﨑康晃投手の活躍に刺激をもらっていて、お礼を伝えたいと!
一方、ローランドにとっても山崎の活躍は大きな刺激となっているようで、「最近も仕事が上手くいかず落ち込んだ時に、たまたま乗ったタクシーで流れていたDAZNのCMに彼が出てきて負けてられないな!と思った事がある。この場を借りてお礼を言いたい」と記していた。
引用:exciteニュース
ローランドさんも山﨑康晃投手も、お互いに感謝しているという関係は本当に素敵ですよね!
とっても感動しました!
ローランドさん、山﨑康晃投手、ありがとうございます(^^)
|
まとめ
以上、山﨑康晃投手の帝京高校時代の成績、甲子園出場についてや、帝京高校でローランドさんと同級生だったことについてでした。
山﨑康晃投手とローランドさんとの関係、とても素敵ですね(^^)
レベルの高いなかでスポーツをしてきた者同士だからこそ、わかる部分は多いにありそうですね。
山﨑康晃投手が本当に野球を続けてくれて良かったです!
「ヤスアキジャンプ」は本当の盛り上がります!
これからも応援しています!