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工藤阿須加の野球経験は?出身大学や高校はどこ?始球式の球速は?!

使い込んだ野球のボール

スラリとしたモデル体型に、爽やかな笑顔の俳優、工藤阿須加さん!

工藤阿須加さんの父は、プロ野球福岡ソフトバンクホークスの監督の工藤公康さんとうことはご存知の方が多いですよね(^^)

工藤公康監督は、2021年のシーズンを持って監督を辞任することが発表されました。

現役選手としても監督時代も、息子である工藤阿須加さんは勝負の世界に身を置く父の姿を側で観てきたことと思います。

厳しい勝負の世界ですから、支える家族としても大変なこともあったそうです。

そんな野球選手だった父を持つ工藤阿須加さんは、野球経験はあったのでしょうか。

工藤阿須加さんの野球経験や、出身大学や高校はどこなのか、始球式での球速はどれくらいだったのかについて調べてみました。

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工藤阿須加のプロフィール

工藤阿須加さんのプロフィールを紹介します。

 

 

◎名前:工藤 阿須加(くどう あすか)
◎生年月日:1991年8月1日
◎出身地:埼玉県
◎身長:180cm
◎血液型:B型

引用:exciteニュース

 

2021年10月現在で年齢は30歳の工藤阿須加さん。

5人兄弟の長男です(^^)

妹にはプロゴルファーの工藤遥加さんがいらっしゃいます。

父は先ほども冒頭でお話ししましたが、プロ野球福岡ソフトバンクホークスの監督で、元プロ野球選手の工藤公康さん!

2012年に俳優デビューし、2014年のTBS日曜劇場『ルーズヴェルト・ゲーム』では100名の応募者の中から選ばれて、社会人野球の投手役に抜擢!

最終回の撮影には父の工藤公康さんが現場にサプライズ訪問!

第1話から欠かさず観ていたそうです。

親子で記念撮影をした際は、工藤阿須加さんの役が球速150kmを投げる役だったため、
「俺より速い球を投げるやつと一緒に写るのは嫌だよ!」と冗談を言って場を和ませていたそうです(^^)

 

野球部員たちは、工藤氏の激励に大感激。当の阿須加と父・公康氏は、みんなの前での親子対面に照れていたが、記念撮影の際には、阿須加演じる沖原が球速150キロ代を出すピッチャーという設定であることから、公康氏が「俺より速い球を投げるやつと一緒に写るのは嫌だよ!」と冗談を飛ばし周囲を和ませた。

引用:マイナビニュース

 

 

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工藤阿須加は野球経験はある?

工藤阿須加さんは、父は現在福岡ソフトバンクホークスの監督工藤公康さんですよね。

息子である工藤阿須加さんは野球経験はあるのでしょうか?!

 

工藤阿須加さんは、俳優になる前まではプロテニス選手になることを目指していました。

小学校5年生からテニスを始め、テニスに目覚めた工藤阿須加さんですが、それまでに色んなスポーツを経験してきたそうです。

ですが、工藤阿須加さんは野球経験はないそうです!

 

それでも、本当は一番やりたかったスポーツは野球だったと話す工藤阿須加さん。

ではなぜ野球をやらなかったのかというと、母に「野球はやめて」と言われたことがきっかけだったようです。

工藤阿須加さんは子供の頃、ソフトボールをやっていました。

同じチームメイトの中には野球もやっていた人もいて、工藤阿須加さんも「野球をやりたい」と言ったそうです。

でも母は「野球はやめて」と。

 

工藤阿須加さんは、今になって振り返ると、母が辞めてといった理由がわかるとのこと。

父の工藤公康さんが現役時代には、家族一丸となって父を支えていたこともあり、色々と大変なこともあったそうです。

父が少しでも眠れるように物音を立てないように注意したり、父が出る試合は正座して観たり。

父が負けて帰ってきた日には、兄妹全員でお出迎えし「どうやったら勝てるのか」を家族全員で話し合ったそうです。

それは父の工藤公康さんが頼んだわけでもなく、もちろん負けたからといって父の工藤公康さんは誰かに当たることもなく、自然にみんなが察したことだったようです。

勝負の舞台の一線で戦うということは常に緊張感が抜けずに張りつめていた空気だったようで、それを感じ取っていたそう。

母は父のために栄養学を学び、時には飛行機で手料理を届けることもあったようです。

 

そんな気苦労からも、もしかしたら野球選手は辞めて欲しいと感じたのかもしれません。

もし工藤阿須加さんも野球選手になったら、父の工藤公康さんと、息子の阿須加さんの2人のサポートをしなければならないし、気が休まる時がないですもんね。

それでも工藤阿須加さんは、生まれ変わったらやりたいことは、やはり野球だそうですよ!

もう1回、人生生まれ変わったら、野球をやりたいなという思いがある」

引用:スポニチ

 

やっぱり父の姿を観てきたからこその言葉なのでしょうね(^^)

 

☆工藤さんと同じく、父がプロ野球選手だった山田裕貴さん!
山田さんは野球をやっていたようです(^^)

 

 

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工藤阿須加の出身高校はどこ?

工藤阿須加さんの出身高校は、大阪府の長尾谷(ながおだに)高等学校と千葉県にある東京学館高等学校です。

そうなんです、2校あるんです!

工藤阿須加さんは最初は大阪府の長尾谷高校に進学し、その後千葉県の東京学館高校に転入しています。

 

大阪府の長尾谷高校は、テニスのインターハイなどに出場している強豪校です。

プロテニス選手を目指して長尾谷高校に進学した工藤阿須加さんですが、高校1年生の頃に肩を怪我してしまいます。

その肩の怪我が、テニスができるまでに1年以上の時間がかかる可能性があると医師からの診断を受けてしまいました。

工藤阿須加さんは当時を、昨日のことのように覚えているそうです。

「あ、終わった……」と頭が真っ白になったことを昨日のことのように覚えています。

引用:婦人公論.jp

 

プロテニス選手を目指してきた工藤阿須加さんにとっては、1年間テニスができないということは、本当にショックなことだったと思います。

診断から一週間は何も手がつかずに、ボーっと一日を過ごしていたそうです。

そんな姿を心配した工藤さんの母は、「これからどうするのか?」と問いかけたところ、父の工藤公康さんが「立ち止まってもいいじゃないか」と声をかけてくれたそうです。

工藤阿須加さんは、怒られると思っていたところに、父からの優しい言葉。

両親に背を向けて号泣したそうです。

「1年や2年、留年したところでたいしたことじゃない。長い人生、立ち止まる時期があってもいいじゃないか」と言ってくれたのです。絶対に怒られると思っていたのに、立ち止まってもいいと言われたことで張りつめていた気持ちが一気にほぐれ、気づけば親に背を向けたまま号泣していました。

引用:婦人公論.jp

 

先日、テレビ番組のA-studioに出た工藤阿須加さんは、妹さんにも「立ち止まっても大丈夫」と声をかけた話をしていました。

それは父が自分に言ってくれた言葉で、その言葉に救われたからっと。

父の工藤公康さんから怪我で大きな挫折をした時にもらった言葉をとても大切に想っており、妹にも同じ言葉を掛けてあげられるのは、本当に心から救われた言葉だったのだと思います。

その言葉に背中を押された工藤阿須加さんは、翌日には長尾谷高校を退学して別の高校に転校することを決めました。

そして選んだのが千葉県の東京学館高校です。

千葉県でもトップレベルの学校のようで、テニス経験者が特進として入学してくるほどのようです。

高校1年生の頃に大きな怪我をした工藤阿須加さんですが、東京学館高校に転校後もテニス部に所属しテニスは続けていました。

 

 

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工藤阿須加の出身大学はどこ?

工藤阿須加さんの出身大学は、東京農業大学です。

プロテニス選手になることを諦めた工藤阿須加さんは、「奇跡のリンゴ」で有名な木村秋則さんの姿に感化され、農業の世界を目指します。

世界で初めて無農薬・無肥料でリンゴの栽培に成功した木村秋則さんの生き方に感化され、「僕が日本の農業を変えよう」と思ったからだ。

引用:マイナビ転職

 

テニスは部活などの世界ではなく、大学のサークルに所属して続けていました。

自分の通う東京農業大学のサークルではなく、早稲田大学のテニスサークル「早大マッチポイント」に所属。

 

大学のテニスサークルは初心者から経験者まで、本当にさまざまなレベルの人たちが集まっています。

高校まで真剣にテニスに取り組んできたレベルの高い経験者などもいて、一概に遊びのサークルというわけではありません。

大会なども大学サークルに関係する旅行会社などがサポートして運営してくれたりと、目標を持って取り組むこともできます。

 

テニスサークルに所属していたのは、プロテニスプレーヤーを諦めきれなかったからというお話しも目にしたことがあります。

プロテニスプレイヤーを目指してきた工藤さんですが、俳優の道に行こうとはっきり決めたのは大学生の19歳の時でした。

 

工藤さんは、広く人に影響を与えられる人になりたいとプロテニスプレーヤーを目指してきましたが、高校時代の怪我によりテニスの道は難しいと感じていました。

そんな時、妹さんが「俳優のオーディション雑誌」を持ってきたそうです。

テニスの道でなくても、俳優、役者の道でも同じように人に影響を与えることはできるのではないかと。

一度は俳優の道を両親に反対されて引き下がり、農業の道を歩むことを決めた工藤さんですが、19歳の時に父である工藤公康さんにこう言われたそうです。

「これから社会へ出ていくことになる。一人の男として自分の人生を決めなさい」

引用:マイナビ転職

 

この父の言葉に背中を押された工藤阿須加さんは、やっぱり役者をやってみたいという思いに気づき、俳優の道を目指すことにしました。

もし、俳優をやっていなかったら農業の道を目指していたと話す工藤阿須加さん。

農業関係の仕事をしている工藤阿須加さんも、きっとかっこよかったと思います(^^)

農業関係のお仕事をしていたとしても、テレビなどに出演していそうですよね!

 

 

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工藤阿須加のテニスの成績

工藤阿須加さんは小学校5年生でテニスを始め、そこからプロのテニスプレイヤーになることを目指し、本格的にテニスに打ち込んできました。

そんな工藤阿須加さんのテニスの成績を見ていきましょう!

工藤阿須加の高校のテニスの成績

工藤阿須加さんは、千葉県の東京学館高校に転校後、千葉県の大会で団体戦ベスト4の成績を残しています。

そして関東大会に出場!

関東大会では2回戦で敗退しているようですが、千葉県でベスト4という成績で、レベルが高いことがわかりますね。

 

工藤阿須加の大学のテニスの成績

大学時代は早稲田大学のテニスサークル「早大マッチポイント」に所属し、毎年行われるテニスサークルの全国大会で優勝をしているそうです!

しかも大学1年生の時のようで、1年生の頃からメンバーとして出場しているということは、やはりとっても上手かったということですよね。

先ほどもお話ししましたが大学のテニスサークルとはいえ、高校時代に部活動で本気でテニスをやってきたひとなども所属していることが多々あります。

アルバイトもテニスコーチをしたりと、本格的な人も多く所属しているので、工藤阿須加さんを含めレベルが高い人たちが多いサークルだったのではないかなと思います。

全国大会での優勝は本当すごいことですよね(^^)

 

 

 

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工藤阿須加の始球式の球速は?

工藤阿須加さんは2014年にプロ野球の始球式に登場しました。

西武ライオンズvsヤクルトの始球式に、西武ライオンズのユニフォームで登場した工藤阿須加さん。

背番号は47番。
父の工藤公康さんが現役時代の背番号です。

工藤阿須加さんの始球式の球速は、114キロでした!

西武ライオンズは父の公康さんが高校卒業後12年間所属していたチームです。

大声援の中で、当時22歳だった工藤さんはとても緊張したのではないでしょうか。

始球式でのピッチングはとても綺麗で、しっかり肩を使って投げられていたのではないかと思います。

ソフトボールをやっていたとしても投球方法は違うので、野球経験がないとは思えないですね!

 

プロ野球の始球式以外にも、TBS系「炎の体育会TV」に出演し、長島一茂さんと二世対決をした工藤阿須加さん!

長島さんが打席に入り、工藤さんは投手で3本勝負でした。

工藤さんの1球目は球速120kmの外角ストレートで、ストライク!

野球経験がないのに、120kmの球速には驚きですよね(^^)

勝負の結果は2本目が打たれ、ラスト3本目は三振に打ち取った工藤阿須加さん!

運動神経の高さもあり、とってもかっこよかったです!!

 

☆芸能人の中で球速が速い記録を持つ間宮祥太朗さん!
ティモンディ高岸さんの出現で記録は塗り替えられてしまいましたが、すごいですよね(^^)

 

 

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まとめ

以上、工藤阿須加さんの野球経験や、出身大学や高校はどこなのか、始球式での球速はどれくらいだったのかについてでした。

生まれ変わったら今度は野球をやりたいと話した工藤阿須加さん。

私もぜひ高校野球での工藤阿須加さんの姿を見てみたいと思いました(^^)

これからも応援しています!

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