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吉岡雄二の帝京高校の成績は?甲子園で優勝も!スポーツ王のリアル野球盤に登場!

打者とキャッチャーと審判 野球
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毎年「とんねるずのスポーツ王は俺だ!」が大好きで楽しみにしています。

スポーツ王のリアル野球盤で、石橋貴明さんの石橋JAPANに登場している吉岡雄二さん!

帝京魂で、石橋チームを支えているメンバーですね(^^)

そんな吉岡雄二さんはどんな選手だったのでしょうか?!

なんと甲子園で優勝経験があるようですよー!!

今回は吉岡雄二さんの帝京高校時代の成績や甲子園での優勝について、そしてスポーツ王のリアル野球盤について紹介していきます。

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吉岡雄二のプロフィール!身長!

 

◎名前:吉岡雄二(よしおか ゆうじ)
◎身長/体重:189cm/90kg
◎生年月日:1971年7月29日

引用:NPB

 

吉岡雄二さんは、1971年生まれ。2021年12月現在の年齢は50歳です。

身長は189センチととっても高いですね(^^)

出身は東京都足立区です。中学校は地元の第十四中学校出身です。

中学時代のポジションは投手でした。

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吉岡雄二の経歴

吉岡雄三さんの経歴は、高校卒業後にプロ野球に入団されています。

吉岡さんの出身高校は、みなさんご存じの通り東響都の「帝京高校」です!

お正月のスポーツ王の番組で石橋貴明さんとともに「帝京魂」でリアル野球盤で戦っていますね(^^)

高校3年生のとき、1989年のドラフトで巨人から3位指名!

読売ジャイアンツに入団します。

ですが肩の手術などがあり、2年間はリハビリとなってしまい厳しいプロ生活のスタートとなりました。

1997年には近鉄バッファローズに移籍。

2005年には東北楽天ゴールデンイーグルスに。

2009年にアメリカに渡りますが球団が決まらず、メキシコリーグに。

2009年をもって現役を引退しました。

現役引退後は四国アイランドリーグのコーチや、一度富山GRNサンダーバーズの監督にも就任します。

その後は北海道日本ハムのコーチなど経て、4年ぶりに2021年からは富山GRNサンダーバーズの監督に復帰しています。

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吉岡雄二の守備!ポジションは?

吉岡雄二さんの守備ポジションは、中学時代に投手でした。

高校入学後に一度内野手に転向しますが、すぐに投手へ。

高校からドラフトで巨人に入団した際は投手でしたが、内野手に転向します。

巨人では三塁手。

近鉄バッファローでは一塁手。

楽天時代も一塁手として活躍しています。

 

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吉岡雄二の出身高校は帝京高校!帝京魂!

吉岡雄二さんの出身高校は、先ほどお話しした通り東京都の帝京高校!帝京魂です^^

帝京高校は2021年現在までに春の選抜甲子園に14回、夏の甲子園には12回出場しています。

甲子園での優勝は3回ある強豪校です(^^)

その影には前監督の前田三夫さんの存在があります。

帝京高校の監督を就任して50年間、帝京高校の野球部を導いてきた監督です。

前田前監督の指導はとても厳しいものだったそうで、監督就任直後には部員が40人いたのが4人にまで減ってしまったというほど!

そこから甲子園へ30回近く出場し、プロ野球選手も20名以上輩出する野球の名門校に成長していきます。

2021年の夏を最後に、前田前監督は退任されました。

22歳から72歳まで帝京高校野球部と共に過ごした50年間でした。

吉岡雄三さんも前田前監督は退任の際にはコメントされており、指導にはいつも愛情があったと話していました。

指導は厳しかったですが、そこにはいつも愛情がありました。やみくもな怒られ方はされませんでした」。

引用:日刊スポーツ

 

 

☆帝京高校野球部出身の石橋貴明さんについてはこちら!
前田前監督についてもより詳細に記載していますので、良かったら読んでみてください。

 

 

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吉岡雄二の高校時代の成績!甲子園出場は?

吉岡雄二の甲子園出場は?

吉岡雄二さんは高校時代に甲子園に出場しています!

しかも3回も!!

高校1年生の夏、高校3年生の春と夏です。

しかもしかもですよ、高校3年生の夏はなんと甲子園で優勝!!

全国制覇を達成しています(≧▽≦)

で、またしかもしかもなのですが、吉岡雄二さんはエースで4番だったのです\(^o^)/

凄過ぎます!!

そんな吉岡雄二さんの高校時代の成績について詳細を紹介していきますね(^^)

吉岡雄二の高校時代の成績!

吉岡雄二さんの高校時代の成績についてまとめてみました!

 

【吉岡雄二の高校時代の成績】
◎高校1年生:1987年
・第69回東東京大会で優勝。
・夏の甲子園で準決勝進出。PL学園と対戦し5-12で敗退。

◎高校2年生:1988年
・第70回東東京大会の準決勝で、日大一と対戦し4-5で敗退。
・秋季東京大会で優勝

◎高校3年生:1989年
・第61回春の選抜甲子園に出場。1回戦で報徳学園と対戦し6-7で敗退。
・第71回東東京大会で優勝。
・夏の甲子園で決勝に進出。仙台育英と対戦し2-0で勝利し甲子園優勝!全国制覇!

 

 

吉岡さんが高校1年生の夏、帝京高校は甲子園に出場します。

当時の3年生には甲子園の2回戦でノーヒットノーランを達成するなどの絶対的エースの「芝草宇宙(しばくさひろし)」さんがいました。

高校卒業後は日本ハムファイターズに6位指名で入団しています。

吉岡さんは高校1年生の夏の甲子園は、メンバーには入っておらずスタンドで応援だったのだと思います。

 

吉岡さんは高校入学当時、肘を壊していました。

帝京高校には投手として入学したのですが、野球肘になってしまっていたのです。

右肘が曲がっている状態だったので、内野手に転向。

それでもスライダーを投げさせるとすごく良かったそうで、プロ野球選手になりたいという吉岡さんを投手の方がドラフトがかかりやすいからと当時の監督前田三夫監督が説得したそうです。

そして1年生の秋から投手になった吉岡さん。

「吉岡は中学で投手をしていましたが、右ヒジが曲がったために内野手に転向していた。それ以来、右ヒジは曲がったままでしたが、その腕でスライダーを投げると、すごいキレが出る。そこで高1秋から本格的に投手をやらせたんです」

引用:exciteニュース

 

高校2年生の夏の東東京大会。

準決勝で日大一と対戦。先発で登場し最後まで投げ抜いた吉岡さん。

6回までに4-2と2点リード。

ですが、6回表に2点をゆるし、同点。

8回表でさらに1点を追加されて逆転。

そのまま帝京は得点を取ることができず、東東京大会で準決勝敗退となりました。

その後の秋季東京都大会では優勝!

吉岡さんは高校2年生の冬に肩を故障してしまいます。

新高校3年生の春の選抜甲子園に出場を果たすも、本調子ではなく報徳学園に打ち込まれてしまい初戦で敗退。

帝京高校は優勝候補とも言われていたため、寮に帰宅した際にチームメイトが泣いている姿を見て、夏こそは!と誓った吉岡さん。

 

試合後、宿舎に戻って号泣する仲間を見て、「自分のふがいない投球で負けた。甲子園は自分だけのことじゃない。夏はみんなにいい思いをさせたい」と誓った。

引用:スポニチ

 

 

高校3年生の夏。

吉岡さんはエース兼4番でした。

帝京高校が甲子園で初優勝、全国制覇をかけた甲子園決勝戦。

しかし球場の声援は、対戦相手の仙台育英を応援する声が多かったそうです。

それはこれまで東北地方の高校が甲子園で優勝したことがなかったそうで、東北勢の初の全国制覇がかかった戦いでもあったからです。

そんなアウェイのような状態での仙台育英との決勝は互角の戦い。

9回が終わった時点で0-0で延長戦へ突入。

甲子園決勝戦で0-0だなんて、本当に手に汗握る戦いですね。

私がリアルタイムで観戦していたら、恐らく直視できませんでしたね(^^;

テレビのチャンネルを回して戻してときょろきょろうろうろしていただろうなっと…(*_*;

こういった場面に強くないけど、気になって仕方ないという緊張しっぱなしで観ていたと思います( ゚Д゚)

 

延長10回に入り、なんと帝京高校は2点を取ることに成功!!

そのまま吉岡さんは仙台育英を0点に抑え、全国制覇を達成しました。

この時、吉岡さんが投げた球数は126球だったそうです。

春の選抜で優勝が期待されながら初戦敗退の悔しさを胸に、夏の大会に挑みました。

「決勝は投げる方に100%と決めていた。打つ方はみんなに任せていた」

引用:スポニチ

 

でも、この夏の大会も吉岡さんは万全な状態ではありませんでした。

大会前に左足をねん挫。

それでも優勝できたのは、試合の順番も関係していたと吉岡さんは振り返っていました。

夏の甲子園では、第一試合目が多かったそう。

朝早く起きるのことは辛かったそうですが、真夏の暑さがピークに達する前に試合ができたことで、体力の消耗が違っており、体力温存ができていたようです。

運も味方につけた吉岡さん。

昭和から平成になって初めての甲子園大会で、帝京高校としても初の全国制覇を成し遂げました。

吉岡は89年夏、全5試合に先発し、3完封を記録して失点は1。

引用:exciteニュース

 

前田前監督は9回裏に仙台育英がサヨナラのチャンスがあった際に、こう思ったそうです。

甲子園では、これが3度目の決勝戦になる。もしここでダメなら、ずっと優勝はできないだろう。オレは、そういう定めなんだ──。

引用:ベースボールONLINE

 

この時、前田前監督は帝京高校の野球部監督を就任してから18年が経っていました。

無事勝利を納め、甲子園初優勝達成。

2021年の夏を持って監督を退任した前田前監督は、50年間帝京高校を導いてきました。

そんな中で一番思い出深い大会はという質問に、この吉岡さん率いるチームが全国制覇した夏と話していました。

思い出深い大会を尋ねると「やはり初優勝した平成元年(1989年)夏」と返事が返ってきた。

引用:exciteニュース

 

感動しますね。

前田前監督に一番思い出深い大会と言わせた吉岡雄二さんも尊敬します。

本当、高校野球って良いですね~!!

 

 

☆帝京高校出身の横浜ベイスターズの山崎康明さん!
山崎康晃さんの高校時代の成績についてもこちらでまとめています⇩

 

 

吉岡雄二の高校通算ホームラン

吉岡雄二さんの高校通算ホームランは、51塁打でした!!

プロ野球の球団からは、投手としても注目されていましたが、打者としても注目している球団がありました。

高校卒業後、巨人の二軍では「本塁打」と「打点」の二冠タイトルを獲得しています。

 

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吉岡雄二と石橋貴明の関係

吉岡雄二さんと石橋貴明さんの関係は、帝京高校野球部の先輩後輩ですが、高校時代はかぶってはいません。

石橋貴明さんは1961年生まれ。

吉岡雄二さんは1971年生まれのため、10歳ほど年齢差がありますね。

1989年の夏、吉岡さんたちが甲子園で優勝した際は石橋貴明さんも実際に甲子園に観戦に行っていたそうです。

自分の母校が甲子園に出場するだけでも嬉しいのに全国制覇まで達成してくれて、石橋貴明さんもとても感動したと思います(*^^*)

1989年の7月に石橋貴明さんは娘さんが生まれているので、石橋貴明さんにとっても思い出深い年になったのではないでしょうか(^^)

 

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吉岡雄二のリアル野球盤に登場!

吉岡雄二さんがスポーツ王に初登場したのは2012年でした。

そこから2021年現在まで毎年登場し、リアル野球盤で石橋JAPANを支えるメンバーですね(^^)

2022年も吉岡さんが登場されるということで、とっても楽しみです(^^)

リアル野球盤でもホームランを打っている吉岡さん。

吉岡さんと帝京高校時代の同期の蒲生弘一さんと、PL学園出身で元プロ野球選手の野々垣武志さんが吉岡さんと対談をYouTubeでしていたのですが、

吉岡さんのバッティングは「真の取り方が上手い」と絶賛されていました。

 

スポーツ王のリアル野球盤は難しいと吉岡さん。

リアル野球盤では、リアル野球盤のために毎年改良されたマシーンを使用しているとのことで、本番の対戦前には練習しているそうですよ(^^)

そんなマシーンも毎年攻略してホームランを打っている吉岡さんは、高校時代からずっとすごい選手だったことが伝わってきますね。

2022年のスポーツ王のリアル野球盤もとても楽しみですね^^

 

 

 

 

 

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まとめ

以上、吉岡雄二さんの帝京高校時代の成績や甲子園での優勝について、そしてスポーツ王のリアル野球盤についてでした。

肘の怪我を乗り越えて、再度投手として帝京高校を全国制覇に導いた吉岡雄二さん。

プロに入ってからは肩の故障により投手から内野手に転向となりましたが、打撃力も凄く、野球全般における潜在的な能力の高さやセンスもあるのだなっと感じました。

もちろん練習量も多かったとも話していました!

2022年のスポーツ王も、富山GRNサンダーバーズの活躍も楽しみですね(^^)

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