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上地雄輔の高校野球の成績は?実力や経歴に辞めた理由!高校時代はレギュラー?

少年の捕手姿 野球
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俳優や歌手、コメンテーターなどでも活躍している上地雄輔さん!

上地雄輔さんが高校野球で松坂大輔さんとバッテリーを組んでいたことは有名な話ですよね。

そんな上地雄輔さんはいつから野球をやっていたのでしょうか。

野球を辞めてしまった理由はなんだったのでしょうか。

上地雄輔さんの野球の実力や経歴、高校野球の成績や高校時代はレギュラーだったのか。そして野球を辞めた理由について調べてみました。

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上地雄輔のプロフィール

 

◎名前:上地 雄輔(かみじ ゆうすけ)
◎出身地:神奈川県横須賀市浦賀
◎生年月日:1979年4月18日
◎身長:180cm
◎血液型:O型
◎職業・ジャンル:歌手, シンガーソングライター, 役者・俳優

 

神奈川県横須賀市の出身の上地雄輔さん。

現在、上地雄輔さんの父は横須賀市長さんだそうです。

上地雄輔さんの高校は、横浜高校です。

上地さんは、横浜高校から実家が一番近く、実家から通えるにも関わらず寮に入るように言われたそうです。

その理由は実家だと何しでかすかわからないからとか(*’▽’)

寮は基本的に実家から通えない遠方の生徒が入ることが基本のようですが、上地さんは特別!

30人いる同級生が皆、上地さん以外遠方で寮生活だったようで、もしかしたら監督が一人だけ実家にするのはと思ったこともあるのかもしれませんね。

監督やコーチたちと生活する中で、色々なこと、大切なことを教わった大切なと話していました。

 

 

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上地雄輔の野球の経歴

上地雄輔さんの野球の経歴は、6歳の幼稚園の頃から野球を始めました。

夢はプロ野球選手!

小学校に所属していたのは地元の吉倉少年野球団。

吉倉少年野球団は2016年をもってメンバーの人数が9人も集まらなくなってしまったとのことで、チームはなくなってしまったようです。

外野フライも打てないような小さな公園で、土日だけ活動しているチームでした。

上地雄輔さんは唯一の小学校1年生で身体は小さく、練習にはすぐに入れず声出しとボール拾いをやっていたそう。

それでも楽しかったと話していました♪

チームのユニフォームが大きくて小さな上地雄輔さんに合わず、自分だけ別のユニフォームを着るように言われ着ていたとか。

みんなは青色のユニフォームなのに、自分だけ黄色ユニフォームだったそうです^^

何か想像しただけで、小さい上地雄輔さんも絶対かわいいだろうなって思います!

 

中学校では軟式野球のクラブチーム「横須賀スターズ」に所属。

横須賀スターズは今までプロ野球選手を輩出しているチームです。

 

上地雄輔さんは小学校、中学校とキャプテンとしてチームをまとめる存在だったようです。

昔から人望が厚かったんですね^^

高校はみなさんご存じの通り、神奈川県で強豪校の横浜高校です。

 

上地雄輔さんの野球経歴のポジションは、ずっと捕手だったようです。

 

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上地雄輔の野球の実力!スカウトが凄かった!

上地雄輔さんの野球の実力は、少年時代から「天才野球少年」と言われていたようです。

県内ではとっても有名な選手でした。

小学校と中学校の頃に、日本代表に選ばれており、全日本で戦っています。

中学生の頃には神奈川県大会を制覇。

ポジションはキャッチャーだったようです。

 

中学時代に所属していた横須賀スターズのクラブチームに入団したのも、チームから声がかかり、スカウトだったよう!

そして、中学1年生の頃から高校が視察にくるほどの選手でした!

高校進学の際にはなんと38校からスカウトを受けたそうです!!

 

「高校の推薦も38校きたんですよ。中学校1年生ぐらいからいろんな所の高校の監督が来た」

引用:スポーツ報知

 

中学1年生の頃から色んな高校が視察に来ていたなんて、少年時代から本当に有名でずっと注目選手だったんですね!

中学2年生の頃から横浜高校の監督には「一緒に野球をやろう」と声をかけてもらっていたそうです。

 

高校に入学してからも、有名な投手とバッテリーを組んで、上地雄輔さんがリードしてきました。

上地雄輔さんはご自身でも「野球の頭はめちゃくちゃ良い」と話すほど!

あの有名な松坂大輔さんとバッテリーを組んだときも、全て上地雄輔さんがリードしてきました。

上地雄輔さんのデータを元にしたリードです。

なので上地雄輔さんの実力はプロ野球などでも通用したちからがあったのではないでしょうか!

 

 

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上地雄輔の高校野球の成績は?

上地雄輔さんの高校野球の成績ですが、上地雄輔さんが高校2年生の時に甲子園に出場しています。

しかも春と夏合わせての出場です!!

 

◎1995年高校1年生
・第77回夏の神奈川大会で準決勝で8-9で日大藤沢に敗退。

◎1996年高校2年生
・第68回春の選抜甲子園に出場!1回戦で敗退。
・第78回夏の神奈川大会で決勝進出!優勝!日大藤沢に7-3!
・甲子園で3回戦進出。福井商業に4-8で敗退。

◎1997年高校3年生
・第79回夏の神奈川大会で準決勝で2-3で横浜商業に敗退。

 

甲子園に出場できなかった年度も、神奈川大会で準決勝まで進んでいます。

学校数と強豪校が多い神奈川でベスト4に入るだけでも本当にすごいこと!

ただ、上地雄輔さん始めとする横浜高校クラスの選手たちは甲子園に出場というのは当たり前にクリアしていかなければならないというレベルなのかもしれません。

 

上地雄輔さんの一つ上の代には、あの松坂大輔投手よりも総合レベルが高いと言われていた投手がいました。

丹波慎也さんです。

上地さんが高校38校からスカウトが来る中で、横浜高校に決めたのはこの丹波慎也さんの存在が決め手でした。

中学3年生の夏に高校野球の神奈川大会をテレビで観ていた上地さん。

まだどの高校に行くか確定できずにいた時期で、テレビの中で丹波慎也さんの投げる球を観て、「この人のボールを受けてみたい」と思い、横浜高校に決めたそうです。

横浜高校は元々進学先の候補に入っていなかったそうですが、丹波慎也投手の存在に魅了されたようです。

しかし、丹波慎也投手は残念ながら高校2年生の8月に急性心不全で帰らぬ人となってしまいました。

上地さんは高校1年生。バッテリーを組んでこれからという時の出来事だったようです。

 

 

そして上地雄輔さんの一つ下の代には松坂大輔さん。

一つ上の先輩も、一つ下の後輩も甲子園に出場しており、上地雄輔さんの代は甲子園には出場できませんでした。

このことを上地雄輔さんは、2019年の神奈川大会で準々決勝で負けて甲子園に出場できなかった後輩たちに自分たちを重ねて思いを話していました。

 

俺らの1つ上の学年は春夏と甲子園。亡くなった大投手がいて。
1つ下には松坂大輔を率いて春夏と全国制覇。
谷間の世代なんて言われた事が無いくらい強かったハズなのに、今んなってみたら、そぉ語り継がれる世代。それが俺らの学年です。
引用:LINE BLOG

 

外からみたら谷間の世代といった印象はありませんが、強豪校の選手ならではの思いがありますよね。

甲子園に行くことを遠い目標としてではなく、実現可能な目標として見てきたレベルだからこその思いがあるのだと感じました。

 

今でも悔しい思いが残っているとも話していた上地雄輔さん。

大切な思い出でもありますが、苦い思い出の面もあったようです。

 
俺もいまだに聞かれれば、心のどこかで恥ずかしい、照れ臭い、情けない、申し訳ない、悔しい。
でもそんな事だけ思っててもしょーがねーから、やり抜いた、ちっぽけな誇りと、苦い思い出に
 
感謝しよう!いかさなきゃ!無駄にしたくない!じゃないと昔の俺が報われない!辻褄があわないもん!
 
と突き進んで来れた事でもあるので、そこで初めて感謝できたのかも😁
引用:LINE BLOG
 
 
 
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上地雄輔は高校時代はレギュラーだった?

上地雄輔さんは高校時代、レギュラーだったのでしょうか。

高校1年生の夏は、レギュラーだったりベンチ入りなどの正確な情報は見つけられませんでしたが、秋季大会で背番号20を付けて1試合出場したようです。

引用:知恵袋

 

高校2年生の時にはメンバーに選ばれて背番号20でベンチ入り。

夏の神奈川大会の3回戦に出場した上地雄輔さん。

ですが、試合中に怪我をしてしまったようです。

右肘の神経を断裂してしまい、2イニングは何とか頑張ったそうですが、監督が異変に気づき腕を見たら腫れていたそうです。

それまで元気だったんですが、その時「ブチッ」ってやっちゃって、投げれないし打てないし。2イニングくらい頑張ったけど。試合中「お前おかしいだろ」って監督に言われ、ベンチで見たら腕がすごく腫れていました。3年生の夏の大会で俺がアホやったら終わりだから…泣きそうになりました。

引用:高校野球ドットコム

 

横浜高校は無事夏の神奈川大会で優勝し、甲子園に出場。

怪我が治ったら甲子園のベンチに入る予定だったそうですが、今度は足を怪我してしまったそうでベンチに戻ることができませんでした。

そこからまた長いリハビリがあり、翌年の1月に病院を変えたところ、手術を受けることに。

高校2年生の頃は10カ月間も野球ができなかったようです。

 

リハビリが何とか高校3年生の5月の関東大会に間に合い、背番号2番をもらった上地雄輔さん。

関東大会では松坂大輔さんとバッテリーを組んで出場できたようで、しかも関東大会で優勝しています!

夏の神奈川大会では怪我の影響もあったのか、上地雄輔さんはフルで出場していたわけではないようでした。

1学年下の小山良男さんが実質正捕手のような動きだったという情報がありました。

高校最後の夏は、神奈川大会の準々決勝で負けてしまい甲子園出場とはなりませんでした。

 

 

☆日テレアナウンサーの上重聡さんは高校時代に松坂大輔さんとライバルでした!

 

 

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上地雄輔が野球を辞めた理由は?

上地雄輔さんが野球を辞めた理由は、やはり高校2年生の頃の怪我をしたことが大きく影響しているようです。

怪我で痛めた影響というより、怪我して野球を離れた期間が上地さんにとって色々と考える期間となったようです。

幼い頃から「天才野球少年」と呼ばれていて横浜高校に在籍していた上地さんですから、大学からも声がかかっていたと聞きました。

それでも幼稚園から常に野球を中心にしてきた生活が、10ヶ月ほど野球が出来ず、筋トレも自由にできず、野球はもうできないと思ったほどの時期。

きっと色んなことを考えたのではないでしょうか。

――やはり野球で行けるとこまで行こうと思っていたのですか?

「上地」 ん〜。そうですね。怪我が無かったら、野球で大学に行くのが当たり前だと思っていたし。やっぱりリハビリしている期間にいっぱいいろんな事を考えて、将来の事とか、親、監督、仲間、ファンの事を考えて、「ちょっと待って下さい」と監督に伝えました。小学校・ジャパン。中学校・ジャパン。高校・横高。大学・野球。社会人といきそうな野球の流れを1回停めて考えたかったので「ちょっと待って下さい」と監督に伝えました。

引用:高校野球ドットコム

 

そして芸能界からスカウトされ、ドラマのオーディションに受かったことをきっかけに、野球の道ではなく、芸能界の道へ進んできたようです。

 

☆上地さんと幼なじみの小泉孝太郎さん!孝太郎さんも高校球児でした⇩

 

 

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まとめ

以上、上地雄輔さんの野球の実力や経歴、高校野球の成績や高校時代はレギュラーだったのか。そして野球を辞めた理由についてでした。

上地さんのブログなどを拝見すると、当時の葛藤や思いが伝わってきます。

そして横浜高校の監督や仲間への愛情も伝わってきて、グッときます。感動(T_T)

これからも応援しています!

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