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小泉孝太郎は高校時代に野球部!出身高校やポジションは?上地雄輔と幼なじみ!

外野から観たバックネット側のスタジアム 野球
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色んなドラマで活躍しているイケメン俳優の小泉孝太郎さん!

ムロツヨシさんと仲良しで、小泉孝太郎さんが家族で集まったお正月にムロツヨシさんも参加していたのは有名な話かもしれませんね(^^)

小泉孝太郎さんは上地雄輔さんとも仲良しで、幼なじみなんですよね!

小泉孝太郎さんは上地雄輔さんと同じく、子どもの頃から野球をやっていた野球少年で、高校時代も野球部でした!

そんな小泉孝太郎さんの出身高校や、高校時代の野球部の話やポジション、上地雄輔さんと幼なじみについてなど調べてみました!

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小泉孝太郎のプロフィール

 

 

◎名前:小泉 孝太郎(こいずみ こうたろう)
◎出身地:神奈川県横須賀市
◎生年月日:1978年7月10日
◎年齢:43歳
◎身長:177cm
◎血液型:AB型

 

小泉孝太郎さんは、小学校4年生の時に野球を始めました。

近くの公園で一番楽しかった遊びが「野球」だったそうです。

学校は地元ではなく私立に通っていたそうですが、野球を始めたことで地元の友達が増えたそう!

 

小泉孝太郎さんの父、元総理の小泉純一郎さんも野球好き!

弟で政治家の小泉進次郎さんも野球少年でした!

良くキャッチボールをしたり、バッティングセンターに連れていってもらったり、プロ野球観戦にも良く行ったそうです(^^)

 

 

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小泉孝太郎の出身高校はどこ?

小泉孝太郎さんの出身高校は、関東学院六浦高等学校です。

学校は幼稚園から大学まで同じ敷地にあり、海も山もある自然豊か環境。

中高一貫校で、孝太郎さんは小学校から高校まで関東学院六浦に通っていました。

3歳下の弟の進次郎さんも孝太郎さんと同様に関東学院六浦に大学まで通っていました。

 

関東学院六浦出身で有名な方に俳優の「竹中直人」さんもいらっしゃいます。

他にもスポーツ選手で関東学院六浦出身の方がいて、プロ野球選手は1名います。

 

◎蒲谷和茂さん(かばや かずしげ)
・1996年生まれ。投手。関東学院六浦高校を卒業後、社会人野球で東芝へ。
1984年のドラフト3位で横浜大洋ホエールズ(現横浜DeNA)から指名を受けたが、東芝に決まっていたため、入団せず。
1991年に西武ライオンズの入団テストを受け練習生に。そして1991年ドラフト9位にて西武ライオンズに入団。1992年に引退。

 

蒲谷さんが高校3年生の1984年には関東学院六浦高校は夏の神奈川大会で準決勝に進出し、ベスト4に入っています。

日大藤沢や横浜商大を倒し、準決勝で向上高校と対戦し、2-8で敗退。

蒲谷さんは1年生からエースで、2年生の時も夏の神奈川大会で準々決勝に進出し、ベスト8でした。

その後も準々決勝には2回ほど進出していますが、ベスト4に入ったのはこの1回のみのようです。

 

 

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小泉孝太郎は高校時代に野球部だった

小泉孝太郎さんは高校時代に野球部に所属していました。

野球は小学校4年生の頃の始め、中学生の時も野球部に所属していた孝太郎さん。

学生時代は野球一筋で、勉強は二の次だったようです。

1日中野球のことを考えているほど野球に夢中だったようですよ。

「1日中野球だけのことを考えていて、雨の日は傘で素振りしていましたね」

引用:ORICON NEWS

 

 

甲子園を目指して野球に打ち込んできました。

小泉孝太郎さんの高校時代の夏の県大会の成績です。

 

◎1994年高校1年生
・第76回夏の神奈川大会で2回戦敗退。

◎1995年高校2年生
・第77回夏の神奈川大会で準々決勝進出。横浜高校に1-7で敗退。

◎1996年高校3年生
・第78回夏の神奈川大会で1回戦敗退。

 

高校2年生の時に準々決勝まで進出しています。

神奈川大会は5回戦を勝ってやっと準々決勝なので、なかなか強かった代なのではないでしょうか。

当時、孝太郎さんがレギュラーだったかはわかりませんでした。

 

小泉孝太郎さんは高校2年生の時に、腰を痛めてしまいます。

その後も守備練習で中腰になったり、激しい動きで腰に負担がかかり、高校3年生の最後の夏に椎間板ヘルニアになってしまいました。

孝太郎さんは野球を続けることが難しくなり、ベンチ入りすらできない状態に。

何とか気持ちを切り替えて応援団に回った孝太郎さん。

ですが、やはり今まで必死に練習してきて、1日中野球のことばかり考えていた生活に急にストップがかかり、心にぽっかりと穴が開いてしまったそう。

高校3年生の最後の夏を目前に、野球に対して完全燃焼できなかったことはやはりかなりショックですよね。

学生時代の挫折としてお話しされていました。

高2のときに椎間板ヘルニアを患って、野球を続けられなくなったんです。気持ちを切り替えて応援団で頑張ろうとしたんですけど、このときの挫折感は実はいまもけっこう残っています。いまだに試合の夢を見るんです。「これに勝てば甲子園に行けるぞ!」というシーンで目が覚める。自分のなかにまだ完全に消えていない悔しさや後悔があるのかもしれません。

引用:朝日新聞EduA

 

 

小泉孝太郎さんは高校時代に初めてヒットを打った時のことを、今でも鮮明に覚えているそうです^^

甲子園を目指してやってきた野球の大切な思い出の場面ですよね!

いまもはっきり記憶する高校の初ヒットは、「チームが打ちあぐねていたアンダースローの投手の球を、監督の指示通りライト方向へ打ったやつ。監督にほめられました」。思い出すと、自然にほおがゆるむ。

引用:ZAKZAK

 

 

小学生の頃からずっと野球に夢中だったのが、腰を痛めて野球を諦めるしかありませんでしたが、

孝太郎さんは常々父である純一郎さんから「自分が夢中になれることを探すこと」と言われていたそうです。

 

野球を諦めて夢中になれることは何だろうと探す中で、「役者」という仕事に出逢い芸能界へ。

父の純一郎さんから政治家になれとは一度も言われたことはなく、逆に政治家にはなるなと言われていたそうです。

孝太郎さんも、「小泉純一郎の息子」としてではなく、「小泉孝太郎」として生きていく道を模索していました。

自分の進む道を見つけた孝太郎さんを父である純一郎さんは喜んだとか。

「政治家はつらいぞ。ほかに夢中になれることを探せ」と父から促された孝太郎氏。「自分は『首相の息子』ではなく、『小泉孝太郎』として別の世界で身を立てたい」との思いで芸能界入りしたと打ち明けた。

引用:カナロコ

 

弟の進次郎さんが政治家になると言った時は、父の純一郎さんはショックだったそうです。

弟の進次郎さんも高校球児。

同じ関東学院六浦だったのですが、3つ歳が離れているので中学、高校と一緒のチームになることはなかったと思いますが、とても仲が良いそうです。

それも父の純一郎さんが「兄弟はどんなときも支え合い、助けなさい」と言って育ててきたから。

父の純一郎さんも野球が大好きで、アメリカの元大統領のブッシュ氏とキャッチボール対談をするほど!

親子で野球の話で盛り上がっていたのでしょうね(^^)

 

 

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小泉孝太郎の高校野球のポジションは?

小泉孝太郎さんの高校野球のポジションはサードです。

中学時代もサードだったようです。

サードの魅力はライン際のボールだそうです!

中学、高校ではサードを守った。醍醐味は「ライン際のボールのダイビングキャッチ」という。

引用:ZAKZAK

 

そういえば同じことを言っていた元野球部芸人の方がいました(^^)

ゴルゴ松本さんも高校球児でサードを守っていて、サードの魅力は孝太郎さんと全く同じことを言っていました!

詳しくはこちらをどうぞ⇩

 

 

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小泉孝太郎と上地雄輔は幼なじみ

小泉孝太郎さんは芸能人の上地雄輔さんと幼なじみです。

地元が2人とも同じ横須賀!

3歳から通っていたスイミングスクールが同じだったそうです。

上地さんのご両親と、孝太郎さんの母が同級生だったとか!

家族ぐるみの付き合いだったようです。

 

兄弟のように育ったそうで、「3歳からの腐れ縁」と上地さんが話していました。

孝太郎さんと上地さんは10代の時に一番良く会っていたそうで、地元横須賀を紹介する番組で思い出を振り返っていました。

上地が「僕ら10代の時いっちばん良く会ってて、まだこの業界に入る前ね。高校生とか20歳前後の時に、もう週6くらい一緒にいたんですよ。ああいうご飯屋さん(番組で紹介された町中華)行って」、小泉が「ずっとでした。ホントに」と、深すぎる交友を説明。

引用:デイリー

 

 

上地雄輔さんの弟と、孝太郎さんの弟の進次郎さんは高校が一緒で、関東学院六浦だったようです。

みんな野球をやっていて、甲子園を目指していた高校球児!

年齢が丁度みな、1歳ずつ違うようです。

上地さんは、孝太郎さんのことを「こーちん」と呼んでいるみたいですね♪

しんじろーは俺の2つ下で兄のこーちん同様幼馴染みで、高校の頃も俺の弟と一緒の高校の野球部だったから、よくうちに「ゆーすけ君!もぉ横浜引退したんだから野球教えてくださいよ😄」て、よく遊びに来てた^_^

全員1つ違い。
 
こーちん
ゆーすけ
しんじろー
引用:LINE BLOG
 
 

 

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まとめ

以上、小泉孝太郎さんの出身高校や、高校時代の野球部の話やポジション、上地雄輔さんと幼なじみについてでした。

腰を痛めて野球を続けられなくなってしまったのは本当に残念ですが、野球の代わりに役者という仕事を見つけ、今私たちの前で活躍してくれていますね(^^)

いつか軽くで良いので、上地雄輔さんと一緒に野球している姿を観られたらうれしいですね!

これからも応援しています♪

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