爽やかでイケメン!多くのファンから結婚したいと言われている山田哲人選手!
かっこいいだけでなく、ミスタートリプルスリーという異名を持ち、プレーでもファンを沸かせています。
現在の球団は東京ヤクルトスワローズです。
2021年東京オリンピックの日本代表の侍ジャパンでした。
2022年は東京ヤクルトスワローズでキャプテンを務め、リーグ優勝を果たし、現在日本シリーズで日本一を目指して戦っていますね。
そんな山田哲人選手の高校、高校時代の成績やポジションについて調べてみました!
山田哲人のプロフィール
【ヤクルト】山田哲が5億円更改 複数年契約の提示断り単年でFAイヤー勝負(スポーツ報知)- Yahoo!ニュース https://t.co/8GnstMVNBQ
ヤクルト・山田哲人内野手(27)が24日、都内の球団事務所で契約更改交渉に臨み、7000万円増の推定年俸5億円の単年契約でサインした。 pic.twitter.com/js5DGyhO1q
— のもとけ (@gnomotoke) December 24, 2019
山田哲人の高校はどこ?
山田哲人選手の高校は大阪府の履正社高等学校です。野球の強豪校です。
甲子園には春9回、夏4回出場しています。
しかも甲子園で準優勝が春2回、夏の大会では1回優勝!
全国制覇をしている学校です。
今では大阪桐蔭高校と並ぶ強豪校と言われています。
履正社高校の野球部は1987年から30年以上、監督は変わらず岡田龍生監督です。
監督就任してから2001年ほどまでは、厳しく激しいスパルタ練習方法。
岡田龍生監督も自分自身が高校時代に甲子園に出場しており、同じようにスパルタ指導を受けていたため、
甲子園に行くための最善の道として疑うことはしなかったそう。
2001年に学校へ匿名の投書があり、岡田龍生監督が手をあげていた指導が明らかになり、半年間生徒への指導が禁止されました。
時代もスパルタや根性論の時代でしたよね。
これを機に、岡田龍生監督の考え方が変わっていきました。
岡田龍生監督が大学時代に、アメリカで選手が監督に臆せずに自分の意見を伝えていたシーンを思い出します。
現地の大学生は「なぜ私を使わないのか」などと監督に臆せず聞いていた。
引用:日本経済新聞
アメリカでの経験がヒントになりました。
選手たちと対話を重ねること。選手たちの自主性を大事にすること。
一方的な指導ではなく、自分で考える力を身につけること。
これまでのノルマなどがある強制的な指導から、選手たちの自主性、主体性を促す指導に変わっていきました。
「僕が高校生のときは百パーセントやらされている野球だった。駒のように動かされている感じ。それだと選手は何も考えない。将棋の駒には意志がないけれど、選手だから桂馬にも意志があるわけですよ」
引用:日本経済新聞
年代を見ると、山田哲人選手の高校時代はすでに生徒の自主性を大切にする指導に変わっているようですね。
☆岡田龍生監督が出している著書です⇩
「教えすぎない教え」
履正社高等学校は私立で強豪校なので寮や設備などもしっかり整っていると思うかもしれませんが、
寮はなく、一部の下宿している生徒を除き、基本的には自宅から通っている生徒が多い学校です。
グラウンドも学校のすぐそばではなく少し離れた場所にあり、スクールバス送迎時間の制限などがあり、練習時間も限られた環境です。
それでも2006年に春の甲子園に出場してから、14年間で11度の甲子園出場を果たしています。
そんな環境だからこそ、より効率的に集中して練習するように工夫したり、一人一人が自分の課題と向き合って、
更に強豪校に成長しているのだと感じました。
山田哲人の高校時代の成績!甲子園に出場!
山田哲人選手の高校時代の成績は、甲子園に出場しています!
・第90回夏の北大阪大会は決勝進出。準優勝
◎高校二年生2009年
・第91回夏の大阪大会は準決勝で敗退
◎高校三年生2010年
・春季大阪大会で優勝!
・近畿大会に出場し、準優勝
・第92回夏の大阪大会は決勝進出。優勝!
・夏の甲子園では3回戦敗退
山田哲人選手は高校1年生の夏の甲子園の決勝戦、大阪桐蔭戦に出場しています。
山田哲人選手は中学時代はあまり有名な選手ではなく、中学時代のチームから岡田龍生監督に履正社高校を希望していると連絡して、見に来てもらったそうです。
岡田龍生監督は良い選手だと思ったそうですよ。
「ウチに来たい選手だということで見に行ったんです。山田は6番を打っていました。そんなに目立つ感じではなかったんですけど、足が速いし、身体も恵まれていたし、いい選手やなと。本人が希望してくれるなら、ぜひ来てもらおうやないかということで来たんです」
引用:ベースボールチャンネル
山田哲人選手は素材が良い、才能を持っている。
岡田龍生監督はそう感じ、これからチームを背負っていく選手になるという想いもあり、高校1年生の夏の北大阪大会決勝に出場させたそうです。
ただ、そんな岡田龍生監督の想いと、山田哲人選手との間には温度差がありました。
山田哲人選手は小学校の文集に書いた夢は「プロ野球選手」でしたが、本当にプロに行けるとは思っていなかったそうです。
しかも、野球も特別好きという感じではなく、甲子園に行けたら良いな程度だったとか!
「小学生や中学生の時は、(自分の力が)そこそこ上のレベルにあるとは思っていましたが、プロに行けるなんて思わなかったですし、どこかの高校でレギュラーを獲って、甲子園に行けたらいいなと思う程度で……。それに中学の頃は友達と遊ぶほうが楽しくて、野球を辞めようとかと真剣に思ったことがありました。でも、お父さんの期待も感じていたし、辞めたら悪いなと思って続けましたが、野球が特別好きという感じではなかったです」
引用:Sportiva
お父さんに悪いと思って野球を続けていたとは…面白いですね^^
当時の山田哲人選手は練習は真面目にするし、誰かの足を引っ張ることもしなかったけれど、強い想いはあまりなく、努力もあまりしなかった選手だったようです。
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山田哲人選手が高校2年生の時、山田哲人選手の意識が大きく変容する出来事がありました。
夏はレギュラーで3番を任され、大阪大会ではベスト4。
甲子園出場はできませんでしたが、準決勝で今大会優勝したPL学園と対戦し、延長12回までの激闘で、4-6で敗れています。
この後の秋の大会で、山田哲人選手の意識が大きくシフトします。
選抜出場をかけた秋季大阪大会で、準々決勝でPL学園と対戦。
7回まで3-3の同点だったのですが、8回に山田哲人選手の守備で落球し、そこから3失点したそうです。
そして打撃もノーヒットだった山田哲人選手。
岡田龍生監督は決して山田哲人選手の落球で負けたとは思っていないし、そういった試合ではなかったそうですが、
山田哲人選手は本当に悔しかったようです。
「自分のミスで失点して、バッターボックスでも結果が出なかった。どうでもいい試合では打てるのに、相手がPLとか大事な試合になると結果が出ない。“ココイチ”弱いなと、それを痛感させられた」
引用:NumberWeb
この試合をきっかけに山田哲人選手の意識が大きく変わり、それまでと別人になったようだったそうです。
練習一つ一つに場面を想定して、練習中から自分にプレッシャーをかけながら取り組み、春になると見違えるように成長した山田哲人選手。
もともと素質があり、いつ才能が開花してもおかしくないような選手だったこともあると思います。
山田哲人選手が高校3年生の春。
春季大阪大会で優勝し、近畿大会に出場します。
そして、決勝戦で報徳学園と対戦し、0-6と敗れはしたものの、準優勝!
近畿大会にはプロのスカウトが来ている大会のため、すでに山田哲人選手は注目の選手になっていました。
高校最後の夏の大阪大会。
4回戦でPL学園と対戦。9回に入った時点では5-7で負けていた履正社高校。
9回表の攻撃。山田哲人選手に打席が回って来た時は、「1死二、三塁」でした。
そこで山田哲人選手は打ちました!センターへ抜ける同点適時打でした!
そして延長10回に履正社が1点追加点を取り、勝利!
その後、履正社高校は準々決勝、準決勝とコールド勝ちで決勝に進出。
決勝では大体大浪商に3-0で勝利し、優勝!甲子園に出場しました。
甲子園では2回戦で天理と対戦し、4-1で勝利。
3回戦で聖光学院と対戦し、2-5で敗れていますが、山田哲人選手はスタンドに本塁打を放っています。
岡田龍生監督は山田哲人選手の成長に本当に驚いたそうです。
「氷山の一角という言葉がありますけど、少しだけ頭を出しているけど、その下にどれだけのものが埋もれているのかは分からない。しかし、意欲を持ったことでそれが一気に見えるところに浮上することがある。
山田の成長スピードはホンマにすごい勢いでした。あれだけの伸びを示した高校生を見たことがありません」
引用:NumberWeb
誰かに言われたからとか、誰かに強制されたからとかではなく、自分の意識で上手くなりたい、強くなりたいと思った山田哲人選手。
岡田龍生監督は、意識が変容する前の山田哲人選手を見て「もったいない選手」だと思っていたそうです。
伝えることは伝えながらも、山田哲人選手にはあまり響かなく、
強制的にやらせては意味がないと思い、きっとじっと待って見守っていたのでしょう。
山田哲人選手は2010年ドラフト1位指名で東京ヤクルトスワローズに入団。
高校の前半はあまり目立たなかった選手が、途中からスイッチが入り、ドラフト1位指名の選手に。
そして今では東京オリンピックの日本代表、侍ジャパンですね!
本当に何が起きるかわからない!ずっと見守り待っていた、岡田龍生監督を始めとするコーチ陣たちにも尊敬です(^^)
山田哲人の高校時代のポジション
山田哲人選手の高校時代のポジションはショートでした。
2010年のドラフト前にはすでに高い評価を受けていました。
今年の高校生の中でNO.1遊撃手として高い評価を受けているのは山田 哲人。
引用:高校野球ドットコム
高校2年生の夏までは2塁手。
高校2年生の秋からショートに変更し活躍しています。
高校時代から守備範囲も広く、肩も強いとのことで、ショートに必要な条件を全て持っていると言われていました。
持ち味の守備。遠投110メートルの強肩、更に守備範囲の広さ、柔らかいグラブ捌きとショートに求められる能力を満たしている選手。
引用:高校野球ドットコム
現在の東京ヤクルトスワローズでは主に二塁手のようです。
まとめ
以上、山田哲人選手の高校、高校時代の成績やポジションについてでした。
山田哲人選手の高校時代の変容のお話し、履正社高校の岡田龍生監督の指導力など、
山田哲人選手に関する素敵なお話しをたくさん知ることができました。
東京オリンピックでの活躍を含め、これからも応援しています!
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