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梅野隆太郎の身長やプロフィールは?高校大学の成績や経歴!

キャッチャー 野球
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梅ちゃんバズーカと呼ばれるほどの強肩!梅野隆太郎選手!

2021年の東京オリンピックの侍ジャパンに選出されました。

現在球団は阪神タイガースで、ポジションは捕手!正捕手として活躍中!

2021年東京オリンピックでは広島東洋カープの会沢選手が怪我で日本代表を辞退したことにより、侍ジャパンに招集されました。

梅野隆太郎選手は2019年に捕手の補殺日本記録を65年ぶりに更新した新記録を持っています。

そんな梅野隆太郎選手の身長やプロフィール、高校や大学での成績や経歴を調べてみました!

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梅野隆太郎の身長やプロフィール

 

 

・名前:梅野 隆太郎(うめの りゅうたろう)
・生年月日:1991年6月17日
・身長:173cm
・体重:75kg
・出身地:福岡

参考:HANSHIN Tigers

梅野隆太郎選手が他のプロ野球選手と写っている写真を見ると、少し小柄に見えました。

身長が気になり確認したところ173cmでした。

他のプロ野球選手たちの体格が大きいですもんね。

それでも「梅ちゃんバズーカ」と呼ばれる強肩と正確な送球、捕球技術への評価が高い梅野隆太郎選手。

 

梅野隆太郎選手は小学校一年生の時に、お父様がチームのコーチを務めていた少年野球チームで野球を始めました。
4年生から試合に出場し、当時は外野手でしたが捕手に転向したのは5年生の時。

当時の福岡ソフトバンクホークスの正捕手、城島健司選手に憧れていたそうです。

中学生の頃は、那珂川シャークス(現:博多南シャークス)のチームに所属し、中学一年、二年生の時に春季ジャパンリーグで2年連続優勝の経験があるようです。

 

梅野隆太郎選手は小学校4年生の時に、お母様をご病気で亡くされています。

そのお母様が病室で「プロ野球選手になれるなら、そうしてやってください」とお父様に言ったそうです。

お母様が亡くなられてから、男手一つで梅野隆太郎選手と2歳下の弟さんを育ててきたお父様。

成長に影響するかもしれないからと、炭酸飲料も飲ませることをしなかったそうです。

高校は10校近くから声がかかったという梅野隆太郎選手!中学時代にすでに注目されていた選手だったんですね。

福岡工業大学附属城東高等学校に特待生で入学

高校卒業後は大学は福岡大学に進学しています。

2013年のドラフト!4位指名で阪神タイガースに入団。母の夢、自分の夢を叶えます。

2017年のお母様のお誕生日3月21日に、大学生の頃からお付き合いされていた2歳年上の女性と結婚されています。

そして2021年東京オリンピック!侍ジャパンに選出され、日本代表として東京五輪に出場です(^^)

 

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梅野隆太郎の経歴

梅野隆太郎選手の経歴を表にまとめました。簡単ですが…(^^;

1999年
小学校2年生
野球を始める。片縄ビクトリーで外野手
2001年
小学校4年生
捕手に転向
2004年
中学生
那珂川シャークス(現:博多南シャークス)
・2005年・2006年に春季ジャパンリーグで2年連続優勝(出典:Wikipedia梅野隆太郎
2007年高校 福岡工業大学附属城東高等学校に入学
2010年大学  福岡大学に入学
2014年プロ野球 阪神タイガース(2013年ドラフト4位)に入団
2021年侍ジャパン 東京オリンピック日本代表に選出!!

 

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梅野隆太郎の高校大学時代の成績

梅野隆太郎の高校時代の成績

梅野隆太郎選手が入学した高校は福岡工業大学附属城東高校です。
春の選抜高校野球に3回、夏の甲子園には2回出場していて、プロ野球選手も多く輩出している学校です。

梅野隆太郎選手の高校時代の成績は、結果としては甲子園には出場していません。

◎高校一年生2007年
・第89回夏の福岡大会では二回戦敗退。
◎高校二年生2008年
・第90回夏の福岡大会では準々決勝で敗退。
◎高校三年生2009年
・第91回夏の福岡大会でも準々決勝で敗退。

 

梅野隆太郎選手は特待生として高校に入学。
中学時代の那珂川シャークスにいる時に、「良い捕手がいる」と福岡工業大学附属城東高校の当時の監督の耳に入り、練習を視察に来たそうです。

高校一年生の頃からベンチ入りしていましたが、高校二年生の夏までは梅野隆太郎選手のポジションは捕手ではなく外野手でした。

それは一つ上の学年に名捕手がいたからでした。
現在、社会人野球の明治安田生命の尾嶋祐輔選手です。

梅野隆太郎選手も尾嶋祐輔選手も、どちらもキャッチャーとしての実力はあるし、打撃も良かったそう。

高校時代は公式戦通算24本塁打を記録しています。(参考:Wikipedia梅野隆太郎

監督は悩み最終的に決断したのは、3年生エースピッチャーにどちらがキャッチャーが良いか聴いた結果が尾嶋祐輔選手だったようです。

梅野隆太郎選手が高校二年生の新チームになった時に、捕手に復帰し主将も任されることになりました。

高校三年生でドラフト指名が入る可能性がありましたが、梅野隆太郎選手は「下位指名で入れたとしても勝負ができない」と判断し、福岡大学への進学を決めたそうです。

福工大城東高時代もプロ入りの可能性があったが「下位指名で入れたとしても、身体もできていないし勝負できない」と、志望届けを出さずに本学へ進学。

出典:福岡大学

 

梅野隆太郎選手と高校時代を共に過ごしたメンバーの中に、プロ野球選手が3人!
◎安部友裕選手(梅野選手の学年二つ上)
・現役-広島東洋カープの内野手。
◎笠原将生選手(梅野選手の学年一つ上)
・引退-元読売ジャイアンツの投手。
◎中谷将大選手(梅野選手の学年一つ下)
・現役-福岡ソフトバンクホークスの外野手兼一塁手。

 

梅野隆太郎の大学時代の成績

梅野隆太郎選手は福岡大学に進学。スポーツ科学部スポーツ科学科を卒業しています。

梅野隆太郎選手の大学時代の成績は、九州六大学野球で優勝し、全国大会には6回出場しています。

◎大学一年生2010年
・九州六大学野球春季リーグ優勝→全日本大学野球選手権大会出場1回戦敗退
◎大学二年生2011年
・九州六大学野球春季リーグ優勝→全日本大学野球選手権大会出場2回戦敗退
日米大学野球選手権大会で日本代表!侍ジャパン!
◎大学三年生2012年
・九州六大学野球春季リーグ優勝→全日本大学野球選手権大会出場1回戦敗退
・九州大学野球選手権大会優勝→第43回明治神宮野球大会二回戦敗退
◎大学四年生2013年
・九州六大学野球春季リーグ優勝→全日本大学野球選手権大会出場2回戦敗退
第39回日米大学野球日本代表主将 4番指名打者で全試合に出場優勝
・九州六大学野球秋季リーグ戦優勝
・九州大学野球選手権大会優勝→明治神宮野球大会出場1回戦敗退

 

梅野隆太郎選手は一年生の時から指名打者として出場。
一年生の秋より捕手として起用されました。

上級生からの不満もあったそうですが、1年春、2年春の全日本大学選手権では1試合3安打3打点の成績を出し、認めてもらえる実力を発揮していったそうです。

福岡大学は決して環境に恵まれている大学ではありませんでした。
野球部専用の球場はなく、授業が終わるとバスに乗って色んなグラウンドを転々としたそうです。
一日に練習できる時間は3時間半ほどだったようですが、ストイックに取り組んでいそうですよ。

大学二年生の時に日米大学野球選手権大会で日本代表入り!
初の侍ジャパンですね!

大学三年生になると、春に福岡大学野球部の主将を任されます。
本来は四年生がいるので上級生の役割とも言われていますが、福岡大学野球部史上初の出来事だったそうです。

当時三年生ながら梅野隆太郎選手はリーダーシップがずば抜けて優れていたそうで、当時の監督が決めたそうです。

梅野隆太郎選手が主将になってから、四回連続で全国大会に出場。

大学四年生の時は二年生の時と同様、日米大学野球選手権大会の日本代表に選出され、主将を任されています。

大学生活最後の秋季リーグ戦、九州大会も優勝し、全国大会に出場しています。

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まとめ

以上、梅野隆太郎選手の身長やプロフィール、高校や大学での成績や経歴でした。

大学三年生の時から主将になるなど、リーダーシップがしっかりある捕手は、とっても頼りになりますね!

今後も応援しています(^^)

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