北海道生まれ、北海道育ちの伊藤大海選手!
現在の球団も、北海道日本ハムファイターズです。
北海道から出たのは東京の駒澤大学に所属していた数カ月のみだったようです。
伊藤大海選手の高校は駒大苫小牧高校で、大学は一度東京の駒澤大学に入学。
その後、駒澤大学を中退し、北海道の苫小牧駒澤大学に再入学をしている経歴があります。
伊藤大海選手が駒澤大学を中退し苫小牧駒澤大学に入学した理由は一体なんだったのでしょうか。
伊藤大海選手の駒大苫小牧高校時代や大学時代について調べてみました。
伊藤大海のプロフィール
【侍JAPAN】 2021年7月24日#侍JAPAN #侍ジャパン #栗林良吏 #伊藤大海 #東京オリンピック #東スポ pic.twitter.com/dHbM0xJ2ly
— 東スポ写真部 (@tospophoto) July 24, 2021
伊藤大海の高校は駒大苫小牧高校
伊藤大海投手の高校は、北海道の駒大苫小牧高校です。
駒大苫小牧高校は甲子園には春4回、夏7回出場している強豪校です。
田中将大投手の母校でもありますね!
伊藤大海投手は高校時代、甲子園に出場しています。
高校2年生の春の選抜に出場しました!
・第95回夏の南北海道大会で決勝進出。北照に4-10で敗れ準優勝。
・秋季北海道大会で優勝!
・明治神宮大会で準々決勝で敗退。
◎高校二年生2014年
・第86回春の甲子園、選抜高校野球に出場!2回戦で履正社に敗退。
・第96回夏の南北海道大会の準々決勝で敗退。
◎高校三年生2015年
・第97回夏の南北海道大会の準々決勝で敗退。
高校1年生の秋季北海道大会では、主力選手として試合に登板。
安定したピッチングをして、優勝に貢献しました。
伊藤大は4試合全てで登板し、投手陣で最も調子が良かった。23回を投げて、自責点が3。防御率は1.17と安定した成績を残している。捕手の新山 敬大は、「気持ちの強さ」を伊藤大の長所として挙げる。
引用:高校野球ドットコム
明治神宮大会の準々決勝でも登板しており、1年生の頃から活躍していたことがわかりますね!
高校2年生の春の選抜甲子園に出場し、1回戦で長崎県の創成館と対戦。
当時はエースナンバーではなく、背番号15。
伊藤大海投手は先発で登板し、3安打に抑えそのまま完封勝利を達成!!
球速も、自己最速139km/hキロ!
監督は当初、次の投手を考えていたそうですが、伊藤大海投手が好調だったため、最後まで投手は変えずにいくことにしたそうです。
「まさか完封とは…。継投を考えていたが、(伊藤)大海がイキイキと低めに投げていたので、そのままいった」。
引用:サンスポ
高校3年生、最後の夏は、南北海道大会で準々決勝で北海と対戦し、2-3で敗退。
延長13回までの激闘でした。
伊藤大海投手は一人で投げ抜き、投球数は178球。
北海は今大会の優勝した高校です。
北海高校に幼なじみで親友の選手がいたそうで、甲子園への夢を託したと話していました。
最後の試合は一人で投げ抜いたこともあり、やりきったといった満足感もあったようです。
「試合自体が楽しくて、まだまだ投げたかった。やり切ったという気持ちでいっぱい」
引用:日刊スポーツ
駒澤大学を中退し苫小牧駒澤大学に!理由は?
伊藤大海投手は高校卒業後2016年に、東京の駒澤大学に入学しました。
ですが、同年10月に駒澤大学を中退しています。
伊藤大海投手は高校3年生の夏が終わった時点で、既に進路は関東の大学を希望していました。
2016年に東京の駒澤大学に入学。
1年生の頃から登板し、順調に駒澤大学で実績を積んでいくと思われていたのですが、大学1年生の10月に駒澤大学を中退。
伊藤大海投手が駒澤大学を中退した理由は、「このままいても将来が見えなかった」といった理由のようです。
「このままで4年後にプロへ行けるのだろうか」
引用:NPB
伊藤大海投手の中では手応えが掴めなかったようで、幼い頃からの夢「プロ野球選手」になるためには、
今何を選択していく必要があるのかと、自問自答しながら中退の決断をしたようです。
一度入学した大学を中退するというのは、本当に勇気のいる決断だったのではないかと思います。
その後の自分の選択が必ずしもうまくいく補償はないし、あまり前例のない選択だと思うので、
伊藤大海投手は本当に悩んだことなのではないかと思いました。
|
高校時代の監督、駒大苫小牧高校の佐々木監督もとても心配したようです。
大学中退を反対したようですが、伊藤大海投手の気持ちは決まっていたようです。
「『中退という経歴は何があっても消えないんだぞ』と反対したが、意志は固かった」
引用:日刊スポーツ
その後は、北海道に戻り、2017年の4月から苫小牧駒澤大学に再入学しています。
東京の駒澤大学を中退してからの半年間は、母校の駒大苫小牧高校で毎日練習をしていたようです。
自分で練習計画を作成し、コツコツと毎日、プロの夢に向かって。
苫小牧駒澤大学に入学してからも、規程により一年間は公式試合に出れなかったそうです。
そんな環境の中でも、自分自身に出来ることを常に考え、トレーニングを積み重ねて身体作りの期間と考えたようです。
この時間に、自分自身の身体と徹底的に向き合ったようです。
翌春に苫小牧駒大に入り直すも、規定で1年間は公式戦出場が停止。「その時に自分の体と対話ができるようになった」。孤独の中、徹底的に肉体と技術を鍛え上げた。
引用:yahooニュース
公式戦に出られず、実践を詰めない、実績として成績を残せない期間が1年間あったというのは、
当時、伊藤大海投手はどんな気持ちだったのでしょうか。
焦りはなかったのでしょうか。
もちろん駒澤大学を中退する決断をした時点で、事前に公式戦に1年間出場できないことはわかっていたことだと思います。
中退する決断をした時点で、この1年間も伊藤大海投手の計画にしっかり織り込み済みだったのかもしれませんね。
大学2年生で試合に出られるようになると、エースとして登板し、全日本大学野球選手権の全国大会に出場!
大学日本代表にも選出されるなど、ブランクを感じさせないプレー。
大学4年生のドラフト前には、充実した大学生活だったと話していました。
退学、再入学という勇気と根気のいる決断を下したが「4年前に考えていた姿に近づくことができました。良い形で(ドラフト会議が開催される)26日を待つことができます」と話すように一点の悔いもない。
引用:NumberWeb
そして2020年ドラフトで、北海道日本ハムファイターズから1位指名!
遠回りと言われたこともあったと思いますが、これが伊藤大海投手にとって最善で最高の選択だったのかもしれませんね。
2021年には東京オリンピックの日本代表、侍ジャパンにも選出されています!
|
伊藤大海投手は常に「自分で考えて、自分で選択」してきている選手なのだと感じました。
学校に入学したらその学校の通りにするだけではなく、自分自身で考えて、自分にとって何が大事で何をするべきなのか。
その自分の答えに忠実に選択してきた結果、しっかり夢を叶えています。
そして高校時代も、大学時代も常にやり切っていて、充実しているように思いました。
伊藤大海投手は本当にすごい選手だと感じました。
まとめ
以上、伊藤大海投手の駒大苫小牧高校時代や駒澤大学を中退し苫小牧駒澤大学に入学した理由についてでした。
自分自身を信じて、勇気のある大きな決断をした伊藤大海投手。
それも全て自分自身の夢のため。
そしてしっかり夢も叶えています。本当にすごいですね!
これからの活躍がますます楽しみです(^^)
これからも応援しています!
コメント