福岡ソフトバンクホークスの育成選手から正捕手となっている甲斐拓也選手。
東京オリンピックの日本代表に選出されていますね!
甲斐拓也選手は育成選手として入団し、そこから支配下選手になり、
今では福岡ソフトバンクホークスの正捕手に定着しています。
そんな甲斐拓也選手のあだ名は甲斐キャノン?と聞きました(^^)
甲斐拓也選手の高校の成績や、身長やプロフィールに経歴、あだ名について調べてみました!
甲斐拓也の身長やプロフィール
🦐#甲斐拓也 pic.twitter.com/fggLvdk35t
— 🍑か🍆 (@kan0n_yakyu) July 10, 2021
参考:福岡ソフトバンクホークス
甲斐拓也選手は小学校1年生の時に野球を始めました。
3歳年上のお兄さんがやっていたことがきっかけだったようです。
保育園に通っていた頃から野球を始めたという情報もありました。
下の子は、上の子にくっついて真似して遊んだりしますよね^^
お兄さんにくっついて真似してボールを握って遊んでいたのかもしれません。
小さい頃から捕手が好きだったそうで、これもお兄さんのボールを受けていたのかもしれないですね(^^)
3歳年上のお兄さんは高校時代、楊志館高等学校で夏の甲子園にエースとして出場しているからです!
幼い頃から捕手が好きで、段ボールで防具をつくって遊んでいたという。
出典:朝日新聞
私も子供の頃は、兄がサッカーをやっており、キーパーをやれと言われて押し入れの前に立っていたことがありました(^^;
甲斐拓也選手は中学生になると「大分リトルシニア」に所属。
当時のポジションは内野手。
全国大会にも出場しています。
同じチームには今は現役を引退していますが、元読売ジャイアンツの投手だった田中太一選手がいました。
高校はお兄さんと同じ楊志館高校に入学。
高校2年生の時に正捕手となったようです。
2010年ドラフト会議にて育成6位指名で福岡ソフトバンクホークスに入団。
2014年に初めて一軍で出場。
2017年のプロ7年目。初めて一軍の公式戦でスタメン出場を飾りました。
今では福岡ソフトバンクホークスの正捕手!と言われるまでになっています。
そして2021年は東京オリンピック日本代表に!侍ジャパン入りです!!
甲斐拓也選手は2歳の頃から兄と母の手一つで育てられたそうです。
育成枠でプロに入った甲斐拓也選手ですが、周囲から心無い言葉を言われたこともあったそう。
そんな時、お母様が時には慰め、時には励まし、支えてくれたそうです。
周囲から「力がない」「おまえじゃ無理だ」と言われて悩んだ。そんな時、母の小百合さんに「諦めなさんな。あんたならできる」と激励され、踏ん張れた-。
出典:西日本スポーツ
電話で「もういいよ、帰っておいで」と慰めたこともあったという。それでも、苦しみながら練習を続ける姿に「開き直っとき」と、励ましてきた。
出典:朝日新聞
世の中でたった一人でも、どんな時も味方でいてくれて、どんな時もそれでいいと言ってくれる存在がいるというのは、本当に心強いことですね。
とっても素敵な関係ですね(^^)
そんな甲斐拓也選手は、2018年に育成時代からお付き合いされていた女性と結婚され、同年にお子さん(長男)が生まれています。
お母様と奥様の支えで、更にレベルアップ!!ですね☆
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甲斐拓也の経歴
甲斐拓也選手の経歴を表にまとめました。簡単ですが…(^^;
1999年 小学校1年生 |
・野球を始める。 |
2005年 中学生 |
・大分リトルシニア所属。 ポジションは内野手。 |
2008年 高校 |
・楊志館高等学校に入学。 2年生の時に正捕手に。 |
2011年 プロ野球 |
・福岡ソフトバンクホークス (2010年ドラフト育成6位) |
2013年 | ・支配下登録 |
2016年 | ・一軍初打席で初安打、初打点 |
2017年 |
・初めて一軍の公式戦でスタメン出場 ・自己最高の103試合に出場 ・千賀滉大投手との日本シリーズ初の育成選手出身バッテリーで開幕戦登板と初勝利 ・アジアプロ野球チャンピオンシップの日本代表! ・ゴールデングラブ賞を受賞 ・ベストナイン賞を受賞 |
2018年 | ・日米野球の日本代表! ・ゴールデングラブ賞を受賞 ・日本シリーズ最優秀選手賞(MVP)を受賞 |
2019年 |
・正捕手に定着 ・ゴールデングラブ賞を受賞 ・WBSCプレミア12の日本代表! |
2020年 | ・ゴールデングラブ賞を受賞 ・ベストナイン賞を受賞 ・千賀滉大投手と最優秀バッテリー賞を受賞 |
2021年 | ・東京オリンピック日本代表に!侍ジャパン! |
甲斐拓也は守備の時に心と書く-試合前の儀式-
甲斐拓也選手は守備につく際に必ずやる儀式があります。
投手の投球練習が終わった後、ホームベース付近のグラウンドに手を伸ばし、しっかり慣らします。
そして、最後に指で一文字書くのです。
「心」
自分が守備につくたびにです。
そのきっかけは工藤公康監督の言葉だったそうです。
2017年一軍に出場するようになった甲斐拓也選手に伝えたこと。
「キャッチャーにとって大事なのは気持ちなんだ。投手を勝たせたいという心を、絶対に忘れてはいけない」。指揮官の言葉を機に、この儀式はスタートした。
出典:Full-Count
そして高校一年生の時、学年2つ上にいたマネージャーの大崎耀子(あきこ)さんが大切にしていた言葉でもあったそう。
大崎耀子さんは、高校3年生の秋に病気で亡くなられています。
病を患いながらもマネージャーとして部員をサポートする姿に、甲斐拓也選手も胸を打たれたそうです。
「あっこさんがよく言っていた言葉が『心』という言葉でした。亡くなる直前、力を振り絞って、色紙に書いてくれた言葉が『心』でした。改めて『心』という言葉の大切さを思いました」。
出典:Full-Count
今が当たり前ではないこと。
初心を忘れないこと。
感謝の気持ちで常に試合に出ている甲斐拓也選手。
とっても素敵ですね(^^)
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甲斐拓也は高校時代に甲子園出場は?!
甲斐拓也選手の高校は楊志館高等学校です。
3つ上のお兄さんと同じ学校ですね。
お兄さんとが卒業した直後に入学となる年齢差ですね。
甲斐拓也選手の高校時代の成績は、結果としては甲子園に出場していません。
お兄さんの代が2007年第89回夏の甲子園に唯一出場しているようです。
・第90回夏の大分大会では1回戦敗退。
◎高校二年生2009年
・第91回夏の福岡大会では準々決勝で敗退。ベスト8.
◎高校三年生2010年
・第92回夏の福岡大会は1回戦敗退。
甲斐拓也選手は高校2年時に正捕手となりました。
高校二年生の夏の大分大会は、準々決勝で明豊高校と対戦。
現在同じ福岡ソフトバンクホークスの今宮健太選手が当時はショート兼投手で、投手として登場し完封負けでした。0-2。
それでも甲斐拓也選手は高校通算40本塁打のうち3年春から夏にかけて25本量産という成績を残しています。(参考:Wikipedia甲斐拓也)
高校三年生の夏は一回戦敗退。
その当時はプロという選択肢はなかったと甲斐拓也選手。
ただ野球を続けるか、続けないか。大学進学か、就職か。その選択肢だけだったようです。
そんな時、楊志館高校野球部の宮地弘明監督が福岡ソフトバンクホークスのスカウト担当の人に連絡を取り、
「甲斐のプレーを一度見てやってくれないか」とお願いをしたそうです。
その願いを聞き入れて、テストをしてくれた福岡ソフトバンクホークス。
その結果、育成枠で入団が決まりました。
そんな奇跡的なご縁から、自分自身の努力で育成枠から今や福岡ソフトバンクホークスの正捕手に。
そして東京五輪の日本代表!!
諦めずに努力を重ねてきた甲斐拓也選手がいたから、奇跡的なご縁が出来、今の活躍があるんですね!
甲斐拓也のあだ名は甲斐キャノン?
甲斐拓也選手のあだ名は「甲斐キャノン」のようです!
名前の由来は、甲斐拓也選手の強肩をキャノン砲(大砲)に例えた言葉だとか。
もう一つ説があり、アニメのガンダムに登場するパイロットがカイで、ガンキャノンに載ることからつけられたという話もあるようです。
今季4月から本拠地では甲斐が盗塁を阻止するとセンター後方のビジョンに「KAI CANNON」の文字と甲斐の映像を放映。また、アニメ「ガンダム」に登場する「ガンキャノン」のパイロットが「カイ」であることから命名されたという説もある。
出典:スポニチ
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まとめ
以上、甲斐拓也選手の高校時代の成績、身長やプロフィールに経歴、あだ名の甲斐キャノンについてでした!
自分の夢に向かって、地道に努力されてきた甲斐拓也選手。
東京オリンピックの舞台で、ホームベースに「心」と描く姿を観れることを楽しみにしています(^^)
応援しています!
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