元野球部芸人として有名なココリコ遠藤章造さん!
高校時代からイケメンで、野球も上手かったというお話しは有名ですよね^^
スカウトが来てたプロ注目選手だったようです!
そんなココリコ遠藤章造さんの高校野球のポジションや実力、スカウトについて調べてみました!
ココリコ遠藤章造のプロフィール
今から「アウトレイジビヨンド」コノヤロー! pic.twitter.com/3nfK1O30
— 遠藤章造 (@endougolf) October 6, 2012
引用:吉本興業株式会社
ココリコ遠藤章造さんの出身地は大阪府豊中市。
遠藤章造さんは、小学校2年生の時に野球を始めたそうです。
中学も野球部に所属。相方のココリコ田中直樹さんも同じ中学校で同じ野球部だったそうです。
高校卒業後に一旦就職をしたようですが、お笑い芸人になるために退職。
相方の田中直樹さんと1992年にココリコを結成したそうです!
ココリコ遠藤章造の高校はどこ?
ココリコ遠藤章造さんの出身高校はどこなのでしょうか?!
ココリコ遠藤章造をスカウトした高校
ココリコ遠藤章造さんは、中学時代から優れた選手だったようです。
ココリコ相方の田中直樹さんが、遠藤章造さんのような人がプロに行くんだろうなっと思うほどの実力だったようです。
中学時代から注目を集めていた遠藤章造さんなので、高校に進学する際にスカウトが来ていたそうです!!
しかも7校も!!
◎上宮高等学校(大阪)
◎関西大学北陽高等学校(大阪)
◎報徳学園高等学校(兵庫)
◎神港学園高等学校(兵庫)
◎天理高等学校(奈良)
◎藤井学園寒川高等学校(香川)
上記の7校からスカウトが来ていたそうですよ!
大阪以外の県からも来ているので、それほどまでに注目の選手だったんですね!
ココリコ遠藤章造の高校は寒川高校
中学時代に7校からスカウトが来ていたココリコ遠藤章造さん。
ココリコ遠藤さんが選んだ高校は、香川県の藤井学園寒川高校でした!
遠藤さんが入学した代は、寒川高校では初の野球留学の代だったようで、始めて県外の選手に声をかけようと思った時に、ココリコ遠藤さんに声がかかったということですよね。
県外からも注目があったというのは、本当にすごいですよね!
寒川高校はココリコ遠藤さんが卒業後に、夏の甲子園に2回ほど出場しています。
◎2015年第97回 夏の甲子園出場し、1回戦敗退。
プロ野球選手は2名輩出しています。
・1968年生まれ。投手。寒川高校卒業後はヤマハへ。
1989年ドラフト1位でヤクルトスワローズ入団。その後近鉄→福岡ソフトバンク。2001年引退。
◎鶴田 圭祐(つるた けいすけ)
・1994年生まれ。投手。寒川高校卒業後は、帝京大学へ。
2016年ドラフト6位で東北楽天イーグルス入団。現在は秋田県のクラブチームのゴールデンリバースに入団。
ココリコ遠藤章造の高校野球のポジションは?
ココリコ遠藤章造さんの高校野球でのポジションは主にピッチャーだったようです。
ショートなどの内野手を担当していたこともあったようです。
中学時代はショートで、ココリコ相方の田中直樹さんもショートで、ココリコでポジション争いをしていたココリコ遠藤さん。
ショートだけでなく、ピッチャーもできるなんて本当すごいですね!
中学時代には、遠藤さんと同じ年のメジャーリーガーと投げ合ったこともあったとか。
そのメジャーリーガーとはヤンキースなどで活躍した伊良部秀輝投手。
メジャーリーガーと対戦できるほどの実力やセンスがやはり中学時代からあったのでしょう!!
☆ココリコ黄金伝説って懐かしい⇩
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ココリコ遠藤章造の高校野球の実力は?
ココリコ遠藤章造さんの高校野球の実力は、高校通算本塁打は23本だったようです。
ココリコ遠藤さんが在学中には甲子園出場はできませんでした。
第69回夏の香川大会で準々決勝で敗退。
◎高校2年生1988年
第70回夏の香川大会で3回戦で敗退。
◎高校3年生1989年
第71回夏の香川大会で3回戦で敗退。
野球部のキャプテンとしてチームを引っ張っていたココリコ遠藤章造さん。
高校三年生の最後の夏の香川大会。
三回戦目で尽誠学園と対戦し、0-7で敗退してしまいましたが、尽誠学園はこの年、香川大会で優勝し甲子園に出場した校でした。
この時対戦した尽誠学園には、オリックスバッファローズや読売ジャイアンツなどで活躍された谷 佳知(たに よしとも)選手がいました。
この試合の谷佳知選手のプレーが、ココリコ遠藤さんの野球人生に大きく影響をしているようです。
遠藤さんが高校卒業後に野球を続けるか辞めるかに。
(「野球を辞めた理由」のところで別途詳しく書いていきますので、よかった読み進めてみてくださいね。)
ココリコ遠藤章造さんを中学時代にスカウトした7校中、寒川高校以外の他の6校は、実は遠藤さんが高校時代に甲子園に出場しています(^^;
はい、6校全てです(^^;
遠藤さんが進学した寒川高校だけが甲子園出場が叶わなかったという、何とも不思議な現象が起きていたのですね(*’▽’)
ココリコ遠藤章造さんの高校在学中の年代は1987年、1988年、1989年です。
⇒1988年夏の甲子園出場
◎上宮高等学校(大阪)
⇒1989年春夏連続甲子園出場
◎関西大学北陽高等学校(大阪)
⇒1988年春の選抜甲子園出場
◎報徳学園高等学校(兵庫)
⇒1989年夏の甲子園出場
◎神港学園高等学校(兵庫)
⇒1988春の選抜甲子園出場
◎天理高等学校(奈良)
⇒1987年1988年夏の甲子園出場
ココリコ遠藤章造はスカウトが来たプロ注目選手だった!
ココリコ遠藤章造さんは、中学時代だけではなく、高校時代にも実はスカウトが来ていたそうです!
高校時代もプロ注目選手だったことがわかります!!
ココリコ遠藤さんは高校卒業後にプロ野球から声がかかっていたことを知ったようです。
しかもプロ2球団から!!
当時のことをフジテレビの番組「ジャンクスポーツ」の取材班は、寒川高校野球部の部長さんに確認したそうです。
その球団は、広島東洋カープと近鉄バッファローズだったとか!!
すごいですね!!もしかしたらプロ野球の遠藤章造さんになっていたところだったということですよね!!
「はい。2球団から来てました。広島と近鉄です。当時のチームで有能な浜田君というのがいたんです。スカウトの方が、是非その子をみたいと来ていたんですけど、たまたま練習風景を見ていた時に足も速い、俊敏な動きをしてるし、守備も安定してるなというので、遠藤君にも目がいったんです。もし指名するようなことがあった時には(スカウトから)ヨロシクと。(プロ野球は)夢の舞台ですから、随分と喜んでいたみたいです」
引用:ジャンクSPORTS
ココリコ遠藤章造が野球を辞めた理由
高校時代にもプロ野球から声がかかっていたココリコ遠藤章造さん。
それではなぜ、ココリコ遠藤さんは野球を辞めてしまったのでしょうか。
先ほどもお話ししましたが、遠藤さんが野球を辞めた理由には、高校3年生の夏の最後の大会で対戦した谷佳知選手が関係していました。
ココリコ遠藤さんは、高校三年生当時の身長は166cmだったようで、このままプロにいくことは難しいと考えていたようです。
高校卒業後は大学に進学し、大学からプロにいく道を考えていたココリコ遠藤さん。
高校3年生の最後の香川大会の尽誠学園との対戦のある打席で、決めたことがありました。
それは…
「この打席ヒットを打てば大学に行こう」
引用:exciteニュース
この打席でヒットを打ったら大学に進学と決めた立った打席で、遠藤さんはセンター前にライナー性のボールが!!
ヒットを確信したココリコ遠藤さんだったのですが、まさかの尽誠学園のセンターの選手のファインプレーでアウトとなってしまったそうです。
その尽誠学園のセンターの選手が、そう谷佳知選手でした。
谷佳知選手のファインプレーに、大学進学を辞めること、野球を辞めることを決めたココリコ遠藤章造さん。
谷佳知選手は遠藤さんの一学年したなので、谷佳知選手が高校2年生の時の出来事でした。
尽誠学園はそのまま香川大会で優勝し、甲子園に出場しています。
自分の心の中だけで決めた選択をして、高校卒業後は野球を辞めて、就職する道を選んだ遠藤さんもすごいなぁっと思いました。
私だったら、次の打席でとか違う選択肢を用意してしまうと思います(^^;
その一つの決断が、今、芸人のココリコ遠藤章造さんに繋がっているんですね!!
☆TIMレッド吉田さんも高校球児でした!⇩
まとめ
以上、ココリコ遠藤章造さんの高校野球のポジションや実力、スカウトについてでした。
中学時代も高校時代も声がかかっていたほどの実力だったというのは、本当にすごいですよね!!
中学時代にスカウトが7校来ていたこともすごい!!
そして、自分が進学した高校以外が高校時代に甲子園に出場したことも、何かそれもすごい持っているなぁっと感じました(*’▽’)
これからも応援しています!!
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