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千賀滉大の出身高校はどこ?高校時代の成績は?育成指名はスポーツ店が関係?!

ピッチャー 野球
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福岡ソフトバンクホークスの育成選手として入団し、今ではエースの千賀滉大選手。

東京オリンピックの日本代表に選出されていますね。

千賀滉大選手は育成選手として福岡ソフトバンクに入団して、今は福岡ソフトバンクホークスの投手としてエースに定着しています。

育成指名をされた裏にはスポーツ店が関係しているという話も!

そんな千賀滉大投手の出身高校はどこかや高校時代の成績、福岡ソフトバンクホークス入団にはスポーツ店が関係してることについて調べてみました。

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千賀滉大のプロフィール

 

・名前:千賀 滉大(せんが こうだい)
・生年月日:1993年1月30日
(2021年7月現在28歳)
・身長:187cm
・体重:90kg
・出身地:愛知県
・球団:福岡ソフトバンクホークス 投手
・背番号41
(2021年7月時点)

参考:福岡ソフトバンクホークス

 

千賀滉大投手は、野球を始めたのはお父様がやっていたことがきっかけになったそうです。

小学校2年生から「三谷東若葉」少年野球チームに。
小学校4年生になると「北部サニーボーイズ」に所属。

中学、高校と野球を続け2010年のドラフトで、育成選手として4位で福岡ソフトバンクホークスに!

2012年には育成選手から支配下登録に上がり、現在では福岡ソフトバンクホークスのエースです!

2017年にはワールドベースボールクラシック(WBC)の日本代表選手に選出され、2021年は東京オリンピック日本代表に選出され、侍ジャパン入り!!

 

千賀滉大投手は2015年22歳の時に同じ歳の方と結婚され、2017年に第一子(長女)が誕生しています。

 

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千賀滉大の中学時代

千賀滉大選手の中学校は地元の愛知県蒲郡市の蒲郡市立中部中学校です。

千賀滉大選手は中学時代は軟式野球部でした。

ポジションは三塁手。

本来は中学時代に投手を目指したそうですが、成長痛があって投げられなかったとか!!

成長痛って私自身あったか記憶がないのですが、ピッチャーとして投げられないほど、そんなに痛さがあったのですね。

それもそのはず、千賀滉大選手はなんと中学時代に身長が20cmほど伸びたそうですよ!!

3年間で20cmも伸びれば、それは痛そうですよね(^^;

 

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千賀滉大の高校時代!出身高校はどこ?

 

千賀滉大の出身高校はどこ?

千賀滉大投手はの出身高校は愛知県の愛知県立蒲郡高等学校です。

野球部などの名門校や強豪校ではないようです。

千賀滉大選手自身も、高校入学当時は野球をみっちりやるという気持ちではあまりなかったようで、野球部の練習を見学に行ってそのまま一応入部という流れでした。

 

入学当初、実は野球に対するやる気はそんなにありませんでした。野球部の練習の見学に行って、そのまま流れで一応入部したという感じです。

引用:朝日新聞

 

ポジションも高校時代も内野手として出場できれば良いという程度にしか考えていなかったよう。

ですが、当時の蒲郡高校野球部監督の金子博志監督との出会いが、千賀滉大選手の投手としての道の始まりとなりました。

 

金子博志監督は初めて千賀滉大選手のキャッチボールの球を見た時に、ボールの伸びが野手の球ではないと思ったそうです。

そして「投手の球だな」っと思ったとのこと!!

 

「キャッチボールをしているのを見た段階です。ボールの伸びが野手の球ではなかったんです。これは投手の球だなと思いました」

引用:東スポWeb

 

千賀滉大投手は関節が柔らかく、その柔らかさがしなりとなりボールの伸びに繋がっていると金子博志監督が話していました。

高校時代の金子博志監督との出会いのおかげで、千賀滉大投手の投手の道が始まりました。

野球の強豪校や名門校に進学することも野球の道を歩むのに大切な道の一つではありますが、どこでどんな出会いがあるかはわかりませんね。

今では日本を代表する投手ですから凄いですよね!!

 

千賀滉大の高校時代の身長

中学時代に成長痛でピッチャーを目指すことができなかったという千賀滉大投手。

千賀滉大選手の高校時代の身長は、高校入学当時では176cmだったようです。

中学校入学当時に150cmだったのが、高校入学当時には176cmというのは別人のようですね!!

 

蒲郡市立中部中時代には、投手を志すも成長痛の影響でプレーがほとんど出来なかった千賀だが、中学の3年間を経て身長は大きく伸び、中学入学時に150センチ前半だった身長は、高校入学時には176センチとなる。

引用:高校野球ドットコム

 

入学当時の体重は56キロくらいだったらしく、身長176cmでの体重としては身体の線が細く、本当にひょろひょろですよね。

高校3年間で身体作りに取り組んだ結果、体重は76キロにまでなったようです!

そして身長も伸びて、千賀滉大選手の高校3年生では身長は183cmまで伸びました!!

中学時代の成長も入学当時と卒業時では別人のようですが、高校3年間での成長もまた別人のようですね^^

 

 

千賀滉大は高校時代の成績は?甲子園出場?!

千賀滉大投手の高校時代の成績は、甲子園には出場していません

 

【千賀滉大選手の高校時代の成績】

◎高校一年生2008年
・第90回夏の愛知大会では2回戦敗退。

◎高校二年生2009年
・第91回夏の愛知大会では1回戦敗退。

◎高校三年生2010年

・第92回夏の愛知大会は3回戦敗退。

 

当時の蒲郡高校野球部監督の金子博志監督に投手としての素質を見出された千賀滉大選手。

千賀滉大投手は1年生の夏からベンチ入りし、夏の愛知大会では最後に1イニングを投げて抑えたことから、監督は投手として本格的に育てていくことを決めました。

入学当時の直球は124km/h。

もともと投手として身体作りをしていなかったこともあり、体重は56キロくらいでは細くてパワーが出ずらいですよね。

ここから投手・千賀の野球人生がスタートする。ちなみに入学当時の直球の球速は124キロ。一般的な公立高校の1年生投手としては「まずまず」の部類だった。また、身長こそ高かったものの、体重は55~56キロと細身だったという。まずは体作りが始まった。

引用:exciteニュース

 

高校入学当時は、高校生活では野球をみっちりやる気持ちはあまりなかった千賀選手ですが、高校1年生のこの夏の大会で気持ちが切り替わりました。

強豪校にコールド負けをしたことがきっかけで、「強い方がかっこいい」とスイッチが入り、本気で野球に取り組む高校生活が始まりました。

 

千賀滉大選手は高校2年生の春から本格的にチームのエースとなったのですが、肩を痛めてしまうこともあり、高校2年生の秋や高校3年生の春などは公式戦で投げられない時期がありました。

身体を大きくするためにとにかく食べて、そして高校2年生の冬から走る事にも力をいれて身体作りを徹底して取り組んだそうです。

 

高校3年生の春にマウンドで投げたところ、確かな手ごたえがあったそうです。

球速も約20キロ速くなり、最速144キロを計測するまでとなった。

出典:高校野球ドットコム

 

この高校3年生の春の頃からプロ野球選手を意識し出した千賀滉大選手。

それまではうまくなってプロ野球選手になれたらいいなという憧れのように思っていたそうです。

高校3年生の夏の大会では「プロ注目選手」としてスカウトも見に来ていたようですよ。

高校3年生の夏は結果としては甲子園には出場できませんでしたが、千賀滉大投手は初戦の2回戦は好投し快勝!

次の3回戦では後半に千賀滉大投手が投げる予定で6回から登板。

ですが、その時はすでに6点差で負けており、得点を取り返すことができずに敗退しました。

高校野球では「悔いしか残っていない」と話していました。

 

高校卒業後は大学に進学する道もあったそうですが、悩んだ末にプロ志願届を提出。

2010年ドラフトで育成選手として4位で福岡ソフトバンクホークスに入団し、地道に努力を重ねて今の千賀滉大選手がいます。

 

 

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千賀滉大の育成選手にスポーツ店が関係?!

 

2010年のドラフトで育成選手として4位で福岡ソフトバンクホークスから指名を受け入団した千賀滉大投手。

高校時代は野球部として有名ではない学校で、大きな成績も残してはいなかったのですが、

福岡ソフトバンクホークスに育成選手として指名を受けた裏にはスポーツ店の店主の存在があります。

 

千賀滉大投手が高校三年生の夏、千賀滉大投手の噂は大学や社会人のスカウトにも届いていたそうです。

最後の愛知大会には、スカウトが数人、見にきていました。

ただ、当時は素材は良いけれどすぐにプロへという評価ではなかったようです。

 

そんな時、愛知にあるスポーツ用品店「西正スポーツ」の店主・西川正二さんは千賀滉大投手の逸材さを見抜き、知り合いの球界スカウトなどに連絡していたそうです。

 

「こんな肘の使い方をできるやつはおらん。億を稼ぐプレーヤーになるぞ」

出典:東スポWeb

 

この電話をきっかけに、福岡ソフトバンクホークスが千賀滉大投手を視察に行き、育成枠で取ることになったのです。

 

西正スポーツの店主・西川正二さんの存在のことは千賀滉大投手自身はプロ入り後に知ったそうです。

千賀滉大投手本人は会ったことがないと。

 

西川正二さんは、千賀滉大投手がドラフト指名された一年後に亡くなられています。

西川正二さんが見つけた逸材は、今は日本代表です。

西川正二さんのおかげですね(^^)

 

そして福岡ソフトバンクホークスには、捕手の甲斐拓也選手も高校時代の監督が福岡ソフトバンクホークスのスカウトに連絡したことがきっかけとなり、

テストを受けて育成選手として指名があり、今では日本代表までになっています。

 

甲斐拓也選手についてはこちら⇩

 

 

福岡ソフトバンクホークスの人を育てる力ももちろんですが、人の話に耳を傾け、実際に足を運んで確認する姿勢。

そんな姿勢もまた素晴らしいなっと感じました。

千賀滉大投手がプロ入団してから、こんな人材がいたなんてと他球団が悔しがったという話も。

 

千賀滉大投手は入団してからも怪我などで思うように出場できないこともありましたが、

今では色んな賞を受賞したり、記録を達成したりと本当に素晴らしい選手になっています。

 

野球強豪校じゃないから、名門校ではないからといったことで、夢を諦めることはないのだと、

千賀滉大投手の存在が教えてくれています。

ご縁はどこで繋がるかわかりませんもんね(^^)

 

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千賀滉大の経歴

千賀滉大投手の経歴を表にまとめました。

1999年
小学校
・野球を始める。
・小2三谷東若葉
・小4北部サニーボーイズ
2005年
中学生
・軟式野球部。ポジション三塁手
2008年
高校
・蒲郡高等学校に入学。
1年生の時に投手に転向。
2011年
プロ野球
・福岡ソフトバンクホークス
(2010年ドラフト育成4位)
2012年

・支配下登録
・先発投手として一軍デビュー
2013年

・一軍で初勝利
2016年 ・育成選手出身の投手による、一軍公式戦でのシーズン最多勝利記録
・日本代表に初選出
2017年

・WBCで日本代表
・甲斐拓也選手とプロ野球史上初の育成選手出身で先発バッテリーとして勝利
・自己最多の13勝
・蒲郡市スポーツ栄誉賞を受賞

2018年 ・初めての開幕投手
・プロ入り初完封勝利
2019年 ・開幕投手。自己最速の161km/hを記録
・史上80人目のノーヒットノーランを達成。
毎回奪三振での達成は日本プロ野球史上初。
・奪三振王のタイトルを獲得
・ゴールデングラブ賞を受賞
・ベストナイン賞を受賞
2020年 ・投手三冠王を達成
・甲斐拓也選手と最優秀バッテリー賞を
2021年 ・東京オリンピック日本代表。侍ジャパン入り!

参考:Wikipedia千賀滉大

 

 

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まとめ

以上、千賀滉大投手の出身高校や高校時代の成績、育成指名にはスポーツ店が関係してることについてでした。

千賀滉大投手のご縁の素晴らしさにも感動しますし、福岡ソフトバンクホークスにも良い選手がいるよと連絡してくれる人材との繋がりを大切にしているのにも感動しました。

東京オリンピック含め、これからも応援しています!

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